月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

ロッテの告白3.追放

 こうしてロッテたちはシーヴェルバインの町を追放されると、その途切れることのない難民の群れに加わった。西へ西へ。とにかく一日も早く、新しい国境となるオーデル川を越えなくては。

 1945年2月、終戦の三ヶ月も前に、ソ連、イギリス、アメリカの首脳たちによるヤルタ会談で、ドイツ領土の割譲が取り決められていた。ドイツはオーデル川とナイセ川から東の国土すべてを失うことになり(これはドイツ全体の25%にあたる)、私の故郷、東プロイセンもポーランドに割譲された。追放されたドイツ人は1400万人、人類史上もっとも膨大な空前絶後の民族大移動となった。つまり、一文無しの1400万人の難民を戦後のドイツは抱え込むことになったのである。

 

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(ドイツ歴史博物館 LeMo Lebendiges Museum online より)

上:青部分は現在のドイツ。黒線内は終戦までのドイツ領土。右側の黒線内の飛び地になっている部分に、私の故郷東プロイセンがあった。数字は難民の数。ドイツ領土ではないポーランド、ハンガリー、チェコ、ルーマニアなどで少数民族として暮らしていたドイツ人たちも追放された。

下:ポーランド政府のプロパガンダポスター。「我々ポーランドはファシストを掃き出そう!」

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 オーダー川を越えてすぐのところに、大都市シュテッティン(現在のポーランドのシュチェチン)がある。その近郊のペーリッツという小さな町に、エマ叔母さんの甥、つまり亡くなった夫の弟の息子、エミールが住んでいる。エミールの父親が二十年代の恐慌で失職したときには、叔母さんたちはエミールを引き取って面倒をみたり、経済的な援助をしたりして、弟一家を支えていた。エミールの両親はすでに他界しており、糖尿病で兵役免除となったエミールは、ペーリッツの家に一人で暮らしているはずだ。とりあえず、ここから約130㎞離れた甥の家を目指そう。20㎏の荷物を抱えていったい何日歩くことになるのか、全く見当もつかない。ロッテとエマ叔母さんは乳母車と手押し車を押し、それぞれの背中にはテーブルクロスやシーツで包んだ荷物を背負って歩き始めた。

 

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 私が東プロイセンから引き揚げたのは1月、マイナス30度の極寒の中で多くの難民が凍死したが、ロッテたちの引き揚げは夏の炎天下、しかも徒歩だ。大荷物を担いでひたすら歩き続けているうちに体力を消耗し、脱水症と熱中症で多くの難民が命を落とした。汗が額からしたたり落ち、重ね着した服はじっとりと濡れ、道脇には動けなくなった老人たちが座り込んでいる。馬も車もポーランド政府に没収されたため、病人も老人も妊婦も、大荷物を抱えてひたすら歩き続けるのだった。ポーランド政府はドイツ人難民に水、食料、宿などを与えることを禁止していたので、難民たちは井戸を探し、空き家になった家に忍び込んで水を補給した。

 

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上:馬車、乗用車などの利用は禁止、すべての距離を徒歩で移動しなければならなかった。

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上:チェコのプラハの町から追放されたドイツ人。少数民族として何代にもわたって暮らしてきたドイツ人たちも追放された。恨みを持ったチェコ人たちはドイツ人に暴行を加え、難民の顔や背中や荷物にこうしたナチスの鉤十字マークをペンキで書き、拭き取った者は射殺された。

下:新しいポーランド領となったすべての町、すべての村からドイツ人は追放された。荷物は20㎏までと規制されていたが、長距離の徒歩移動中、運びきれずに多くの荷物が道端に捨てられた。

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上:有名な「ブリュン・死の行進」。ブリュン(チェコ語ではブルノ)はチェコ第二の都市で、ここでは2万7000人のドイツ系住民が追放された。60㎞の距離を歩いてオーストリア国境に到着したが入国を拒否され、来た道を行ったり来たりしながら国境通過線を探した。出発から一ヶ月以上経って入国を許されたが、すでに5200人以上が飢餓、赤痢、チフス、暴行により死亡、ほとんどが老人、女、子供であった。

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 この日、ロッテたちは町を出ると10㎞ほど西に移動した。難民の列20mごとにポーランド民兵も同行していたが、手助けするでもなく、持っている銃剣を振りかざし、「さっさと歩け!」とか「止まるな!」とか片言のドイツ語でどなるのが任務だった。ろくでなし!豚!糞ったれ!ありとあらゆる罵詈雑言を吐きながら、民兵は難民を銃で殴る。

 すっかり日が落ちて、他の何百人もの難民たちとともに野原で野宿をすることになった。あまりに唐突な追放だったため食料品も買い置きしておらず、とりあえず常備していたジャガイモ、パン、その他の若干の食料品、そして水をたっぷり入れた大きなミルク缶を手押し車に詰め込んだだけだった。その晩は黒パンを薄く切って何もつけずにそのまま食べた。マリーはクッションの上に横たわると、疲れ切っていたのか、あっという間に眠ってしまった。

 翌日は夜明けとともに起床し、再び歩き始めた。途中から他の村からの難民が合流し、行列はますます長くなっていった。途中、エマ叔母さんの手押し車の車輪が壊れて外れ、中の荷物のほとんどを捨てなければならなくなった。

「ジャガイモは捨ててはだめよ。その他の物はなくても生きていけるけど、ジャガイモは絶対に必要よ。」

エマ叔母さんの言葉に従って、衣類や食器類は捨てたが、ジャガイモは乳母車の底に押し込んだ。後々、これが正しい判断であったことがわかる。

 もうこの時点で、帰郷の希望は消え失せていた。追放は永久的であり、財産も土地も戻って来ないに違いない。とにかく生きて本土に渡れますように。難民が祈ったのはそれだけだった。

 ひたすら歩き続け、井戸から水を汲み上げ、また歩き、パンをかじり、また歩く。背中に担いだ荷物が肩に食い込み、汗で服は濡れそぼち、太陽がじりじりと肌を焼く。暑い。暑い。暑い。歩きながらどうやって荷物の重心を変えれば腰の負担が軽くなるか、荷物の位置をあっちへ動かしこっちへ動かしと試みるが、腰の痛みはますます強くなる。

 15㎏ほど歩いたところで体力は限界になり、再び野原で野宿することにした。近くの石で小さなかまどを作り、焚き木を集めてきてジャガイモをふかした。エマ叔母さんが持ってきたマッチは重宝し、かまどで燃える炎を見た何十人という難民たちが火をもらいに来た。マリーはその様子を見ながら、

「火っていくら分けてもなくならないのね。まるでイエス様の起こした奇跡のようね。パンはちぎってもちぎっても減らなくて、もらった人々は幸せになったわ。」

と感慨深く言うのだった。なんと賢い子だろう。信仰深いエマ叔母さんは、

「そうね。神様の愛と一緒ね。」

と微笑んだ。

マリーは集めてきた何本もの小枝に火を灯し、

「はい、どうぞ。」

と疲労困憊して動けない難民たちに分けて歩くと、感謝に満ちた人々の顔が小さな火に照らされた。

 ふかしたジャガイモがなんと美味しいことか!ソーセージも薄く切って、三人で分けあった。一人一個のジャガイモを食べ終えると、三人とも泥のように眠った。

 夜が明けて、黒パンを胃袋に押し込むと、再び歩き始めた。マリーは我慢強く、健気に大人たちの歩調に合わせて歩いていた。道端に老人たちが座り込んで泣いているが、もはや声をかける者は誰もいない。皆、自分のことで精いっぱいなのだ。

 その晩は、すでに誰もいなくなった大きな農家で休むことが出来た。ロッテたちより先に来ていた難民たちは、この家で略奪をしていたポーランド人たちに出くわしてしまい、すべての持ち物・・・衣類、靴、宝石、現金を巻き上げられたと言ってがっくり肩を落としていた。子供たちの衣類まで取りあげるとは、無慈悲にもほどがある。

 深夜、皆が寝静まっていると、外から助けを求める女の悲鳴が聞こえた。難民の女がソ連兵かポーランド兵に強姦されているに違いない。皆、一斉に身を起こして扉の施錠を確認し、誰も助けに出て行く者はいなかった。ロッテは頭から毛布をすっぽりかぶって耳を塞ぎ、神様、神様、お守りください、と唱え続けた。強姦された女は無事だろうか?それとも殺されただろうか?この夜に聞いた悲鳴は、生涯忘れることはなかった。

 翌日も朝から細い街道を歩き続ける。道脇で動けなくなっている老人たちが増えていき、多くはそのままそこで息を引き取った。老人たちの遺体を横目で見ながら、皆、無言で歩き続ける。

 大きなお腹を抱えた妊婦たちは最も哀れで、大荷物を背負い、幼い子供を乗せた乳母車を押し、あるいは手押し車を引きながら、汗びっしょりになってフラフラと歩いている。その歩調は次第に遅くなり、いつの間にか視界から消えていく。臨月の妊婦が、どうやってオーデル川までの距離110㎞を歩き切ることが出来ると言うのだろう?

「ああ、かわいそうに。」

難民たちは同情のまなざしを向けながらも、ただ歩き続けた。

 

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上:オーデル川国境まで徒歩で向かう難民たち。

 

 あたり一面に広がるのは、収穫を間際に控えた黄金の麦畑だ。湿った疾風が実った穂を激しく波立たせているかと思うと、やがて黒い雲が空を覆いはじめ、雨がぽつぽつと難民たちを濡らしていく。雨宿りできる場所を求めて歩を速めるが、ただ麦畑が延々と続くだけだ。激しい雷に女たちは悲鳴をあげ、子供たちを豪雨から守る。やっと大型テントに辿り着き、びしょ濡れのままそこで休むことになった。大型テントの中は難民があふれてとても横になれそうもない。湿った空気はよどんで悪臭を放っているが、野ざらしよりはましだ。座ったままでうとうとと眠るだけの、辛い夜だった。

 翌朝、ロッテたちがテントの外に出ると、入りきれなかった難民たちがずぶ濡れのまま倒れていた。リウマチ持ちの年寄りたちの身体が雨で冷え切って硬直し、動けなくなっていたのだ。家族が起こそうとするとあまりの痛みに悲鳴をあげ、あちこちで泣き声が聞こえた。あの老人たちはその後どうなっただろう?とても担いで歩ける距離ではない、そのままそこに放置されたのだろうか?それとも手押し車で運んでもらえたのだろうか?

 この日は昨日とは打って変わって良い天気で、朝からギラギラと太陽が照り付けていた。途中、疲れ切ったマリーを乳母車に乗せると、やがて元気を取り戻し、機嫌よく歌を歌いはじめた。天真爛漫に数々のかわいらしい童謡を歌っている間、周囲の難民たちも穏やかな表情になった。やがて知っている童謡すべてを歌い切り、マリーは小さな頭をちょっとかしげると、今度は童謡ではない歌を歌い出した。

      百姓の妻が教会に行きゃ 百姓の夫は大喜び

      手伝いの女にそっと言うのさ

      「さあ、干し草に行ってひと休みしよう!」

ロッテはギョッとし、エマ叔母さんは声を上げて笑った。これは20世紀初頭にドイツで流行したエロチックな俗謡で、「干し草に行く」は浮気の隠語である。居酒屋で酔っぱらった男たちが歌うような卑猥な歌を、5歳の子供がかわいい声で歌うのだ。

「そんな歌、どこで覚えたの?」

ロッテが呆れてマリーに尋ねると、

「アントニアの家でお爺さんが歌ってたのよ。」

と得意満面で答える。アントニアとはマリーと仲良しの女の子である。エマ叔母さんが笑ってくれたので、さっそく次の歌を披露した。

      かわいい僕のアンネマリー さぁて今から何をしよう?

      白アスパラガスの季節だわ 土からニョッキリ顔出して

      収穫時期は今だから 腰が痛くて大変だ

      ランラララ ランラララ ランラララランラン

「おお、イエス様!」

さすがのエマ叔母さんも天を仰ぎ見て叫んだ。白アスパラガスは、かつては男性の性器の隠語だったのだ。他にも厩舎のヤギ、蜂と花の戯れなど、詩的な隠語を散りばめた妖しい俗謡をマリーは意気揚々と歌い続け、一緒に歩いている難民たちは「おお、神様!」とか「なんと恐ろしい!」などと空を仰いで通り過ぎて行った。いったいこの子はアントニアの家で何を教わっていたのだろう?ロッテが制止しようとすると、

「いいじゃないの、楽しそうなんだから。歌わせておきましょ。」

と、エマ叔母さんは無邪気なマリーに目を細めた。マリーには歌の意味はさっぱりわからなかったが、少なくとも自分が歌っている間は大人たちは苦しそうではなく、眉間の皺が消える。それどころか、少し嬉しそうにも見える。マリーは利口な子供だったので、自分の役割をきちんと心得ていたのだ。5歳の子供を侮ってはいけない。干し草やら白アスパラガスやらに彩られた一日に、三人はなんと25㎞の長距離を歩きとおしたのであった。 

 その晩は野原で野宿することになった。寝床を整えると再び石を集めて小さなかまどを作り、火を起こしてジャガイモをふかした。ジャガイモは長期保存が出来る上に栄養価が高く、腹持ちもいい。エマ叔母さんの言うことを聞いてジャガイモを捨てなくてよかった。まだ一週間分はあるだろう。

 ロッテは野原の上に仰向けになってもなかなか寝付けず、煌々と輝く満月とたなびく黒い雲を見ていた。近くの沼からカエルの声が聞こえてくる。なんという毎日だろう。あの美しい朝の、あの一枚の追放を知らせるチラシが、突然自分たちの運命を変えた。これも牧師が復活祭の礼拝で言っていた「神の御計画」のうちのひとつなのだろうか?だとしたら、道端で動けなくなっていた老人たちも?妊婦たちも?みんな神の御計画だと言うのだろうか?

「ヨゼフがね、」

てっきり眠っていると思っていたエマ叔母さんが、突然小さな声で話し出した。ヨゼフとはエマ叔母さんの亡くなった夫だ。

「ヨゼフが言っていたのよ。ドイツのロケット開発は世界一だ、そのうちに人間が月に行くようになるよって。そうしたら一緒に行こう、月から地球を一緒に眺めようって。叶わぬ夢になっちゃったけどね。あのV2ロケット(注:ドイツが開発した世界初の液体燃料の弾道ミサイル)が作れたんですもの、月に行くロケットだって実現するかもしれないわね。武器よりそっちの方がずっと素敵よね。私は無理でも、マリーはそれを体験できるかもしれないわよ。」

何を言い出すのかと驚いた。ロッテが月を眺めながら自分の運命を嘆いている間、エマ叔母さんはロケット開発について考えていたのだ。ロケットに乗って月に行き、青い地球を眺めて微笑むエマ叔母さんとヨゼフ叔父さんを想像し、ロッテの心は癒された。「一緒に月から地球を眺めよう。」と言った夫を恋しがる叔母さん。叔母さんの顔を見ると、眼は満月を映してキラキラと輝き、少女のようだ。エマ叔母さんはかわいらしいロマンチストだった。

 翌日、朝から歩き続けているうちに、ロッテは靴の底がすり減っていることに気付いた。舗装されていない道の尖った砂利が、ロッテの足裏に突き刺さる。オーデル川に近付くにつれて、街道の道脇にはうつ伏せの老人たちの遺体がますます増えて行った。餓死、衰弱死、持病の悪化、伝染病。家族がいないのか、それとも家族に見捨てられたのか。杖をついてフラフラと歩き続ける老人たちも、いつかは倒れてしまうだろう。

「マリー!マリー!」

後ろからポーランド人が運転するトラックがゆっくりと近付いてきた。荷台には20人ほどの子供たちが乗っており、マリーの友達の顔もいくつか見える。その中の仲良しのアントニアが叫んでいる。

「マリーも乗りなさいよ!涼しくていい気持ちよ。」

マリーの顔がぱっと輝いた。

「母さん、乗ってもいい?」

ロッテは運転しているポーランド人に、どこまで行くのか尋ねると、人の良さそうな男はニコニコと「シュテッティン」と答える。一抹の不安を覚えたが、そのポーランド人は紳士的に見えるし、シュテッティンまで歩かずにすむのならば、マリーは嬉しいだろう。それに街道は一本道だから、はぐれることはない。

「シュテッティン市入口の標識のところで娘をおろしてください。」

ロッテが男に頼むと男は機嫌よく頷き、マリーは弾けるようにトラックの荷台に飛び乗った。キャッキャッとアントニアたちと楽しそうにはしゃいでいるうちに、トラックはすっかり見えなくなった。

 喉が渇いてジリジリと痛み、足元がフラフラとおぼつかない。摂取しているカロリーと栄養が極端に不足しているため、体力が低下し、貧血も起こしているようだ。ロッテとエマ叔母さんは休憩をなるべく頻繁にとり、無理をしないように留意した。

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上:ソ連軍との攻防戦で徹底的に破壊された、当時のシュテッティン。

 夕方になって、ロッテたちはやっとシュテッティン市の入口の標識に到着したが、マリーの姿は見当たらない。ロッテは胸騒ぎを覚え、動揺した。市内に入って行くと、偶然、近所に住む顔見知りの女に出会った。

「マリーを、娘を探してるんです。他の子供たちと一緒にポーランド人のトラックに乗せてもらって・・・。見ませんでしたか?」

「見てないわ。ポーランド人のトラックに乗せたの?不用心ね。あいつらを信用しちゃだめよ!ドイツ人を憎んでるのよ、何するかわからないわ。」

ロッテは顔面蒼白になり、震えて泣き出した。

「マリー!マリー!おお、神様!」

エマ叔母さんはロッテの肩を抱きかかえると、しっかりとした口調で諭した。

「ロッテ、落ち着いて。一緒に街道を歩いて行きましょう。大丈夫よ、きっとどこかで車から降ろされているはずよ。いくらなんでも、子供たちに悪いことはしないわ。」

 ロッテとエマ叔母さんは街道を歩き続け、市の中心部に向かった。ここから道は四方に分かれ、果たしてトラックがどの道を通ったのか皆目見当がつかない。

「マリー!マリー!」

ロッテは狂ったように叫び続けた。小道に入り、脇道をのぞきこみ、表通りにまた戻る。シュテッティンの町はソ連軍との攻防戦で廃墟となり、薄くなった靴底にガラスの破片や瓦礫のかけらが突き刺さるが、それさえも気が付かない。泣きながらマリーの名前を叫び続けるロッテを、道行く人々は遠巻きに見ている。どうやらこの難民は気が狂ってしまったようだ。

 大通り前方に、トラックが停車しているのが見えた。ポーランド人の運転手と子供たちが道脇に座り、スープをすすっている。その中にマリーもいるではないか!ロッテは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭こうともせず、一目散に走り寄った。泣き喚いているロッテにいきなり抱きすくめられて、マリーは空き缶に入ったスープをこぼしてしまった。ああ、大切なスープなのに!母さん、気を付けてよ。エマ叔母さんもほっとした途端、地面にへなへなと座り込んで泣いている。

 こうしてロッテたちは十日以上かけて新国境であるオーデル川を渡り、新しいドイツ領土内に到着した。もうこれでポーランド兵からもソ連兵からも撃たれることはない。この十日間で食べたものは、一日にパン二枚とジャガイモ一個だ。皆、すっかり痩せて泥と汗にまみれている。その晩はシュテッティン市内の廃屋の中で休み、翌朝、エマ叔母さんの甥エミールが住むぺーリッツに向かって歩くことにした。その小さな町は、シュテッティンから15㎞ほど北上したところにある。ロッテには面識も血のつながりもない男だが、エマ叔母さんは、

「優しいいい子よ。大丈夫よ、家は大きいし、部屋は空いてるはず。しばらくのあいだ、やっかいになりましょう。」

と言ってくれる。そこで仕事を探し、新しいアパートを見つけるまでの間だけ、エミールのところでやっかいになることにした。きっと夫パウルも近いうちに帰ってくるだろう。

 午後、三人はペーリッツに到着した。ペーリッツは小さな町であったのにも拘らず、戦争中は軍需燃料を製造する重要な軍需産業都市であった。ドイツは石油資源を持たないが石炭は採取できるため、粉砕した石炭を溶剤と混合し、水素と反応させて液化した合成石油を製造していたのだ。当然、米空軍の格好の標的となり、1944年の大空襲では壊滅的な被害を受け、ここで強制労働に従事していた多くのユダヤ人が犠牲になった。

 

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上:1944年、米空軍によるペーリッツ大空襲。合成石油製造工場が大打撃を受けた。

 

 エミールもまた、この燃料工場の技術者として戦時中は裕福な暮らしをしていたらしいが、空襲で燃料工場は閉鎖され、戦後はなぜかソ連軍将校の運転手になっていた。家は郊外にあったため空襲を免れ、いまだ瀟洒なたたずまいを見せている。なるほど、一人で住むには広すぎる、立派な家だ。叔母さんが玄関のノッカーを鳴らすと、中から見知らぬ金髪の若い美女が現れ、薄汚い来訪者を不愛想に見つめた。ゆるやかに波打つ金髪を肩まで垂らし、ウェストをキュッとしぼった最新流行の華やかなワンピースを着ている。ジャガイモが宝石よりも大切な人間がいる一方で、身なりに気をつかう人間がいる。自分はどこからどう見たって難民だ。ロッテは自分の姿を恥じた。

「エミールはいますか?叔母のエマですけれど。」

女は中に向かってエミールの名を叫び、再びこちらを向くと、おぞましい物でも見るように再び三人を眺めた。エミールがヒョコヒョコ出てきてエマ叔母さんを見ると、顔をほころばせて両手を広げた。エミールはコロコロと太った人の良さそうな男で、三人を快く迎え入れて温かくもてなそうと試みた。試みたのではあるが、エミールの横に立っている金髪の女の仏頂面が、すべてをぶち壊しにしていた。

「エマ叔母さん、実は僕、先月結婚したんだ。こちらが僕の妻のマグダ。」

エミールは照れくさそうに真っ赤になると、隣に立つ美女を誇らしげに紹介した。エマ叔母さんは目を丸くし、一瞬沈黙した。愛想の良い甥と厳しい顔で立ち尽くす女は、とてもお似合いの夫婦には見えなかった。叔母さんは急いで笑顔を作ってお祝いの言葉を述べ、花嫁マグダの頬にお祝いのキスをした。花嫁は喜ぶでも照れるでも礼を言うでもなく、固い表情のままされるがままだった。エマ叔母さんが事情を説明し、しばらくここにおいてほしいと話すと、エミールは愛想よく了解した。

「もちろんだよ。それは大変だったね。使っていない部屋がいくつもあるんだ。遠慮なくどうぞ。上の階は・・・」

花嫁は目を白黒させて口をはさんだ。

「ちょっと待って!私たちは新婚よ!いきなりやって来て、それはないでしょ?エミール、どういうこと?」

ロッテはいたたまれない気持ちでうつむいた。

「おお、マグダ、叔母さんたちは故郷を追われたんだよ。気の毒に、ポーランド領になって全部没収されたんだ。シーヴェルバインから歩いてここまで来たんだよ。」

「だからって、どうしてここに住むの?他にもアパートがあるじゃないの!」

「マグダ、空いているアパートがひとつもないことは、よくわかってるじゃないか。路上で寝ている人たちもいるんだよ。」

マグダはエミールをにらみつけ、甲高い声で叫び出した。

「難民だからって、私たちの暮らしの邪魔する権利はないわ!」

夫の叔母を面と向かって「難民」と呼ぶこの女の、いったいどこにエミールは惚れたのだろう?ナチスがプロパガンダに使うアーリア人の見本写真に出てきそうな美しい顔?黄金のシルクのような髪?ほっそりとした流線型の身体と尖った胸?重い沈黙にロッテは押しつぶされそうになっていると、おもむろにエマ叔母さんが口を開いた。

「あなたたちの新婚生活の邪魔をするのは申し訳ないと思っているわ。私たちは全財産を取りあげられて無一文なの。新しい住居を見つけるまでの間だけ、どうか住むことを許していただきたいの。」

マグダは鼻息荒く、ロッテたちをにらみつけた。

「あなたはエミールの叔母だからわかりますけど、そちらはエミールの親戚でもなんでもないのでしょう?」

「私の大切な姪とその娘ですよ。この子たちがいなかったら、私は今、生きていません。」

ロッテの胸に熱いものがこみ上げた。マグダは大きなため息をつくと、ドアをけたたましく締めて部屋から出て行った。ここにはイエス様のパンは届いていないのだろうか。分け与える喜びを知らないのだろうか。5歳のマリーだって知っているのに。エミールは狼狽し、三人に平謝りしてなんとかその場を取り繕うと努める姿が気の毒だった。

 エミールの話によると、マグダは若いのに再婚で、離婚した際には2人の子供たちの親権を前夫に取られて精神的に不安定なのだと言う。知り合ったのはつい最近で、気の毒になってすぐに結婚しようと言うことになったらしい。子供たちに会えないことが辛い?いいじゃないの、とロッテは心の中でつぶやいた。いいじゃないの、生きているのだから。また会いに行けるし、抱き締めることもできるじゃないの。心がひりひりと痛む。 

 ロッテとマリーは一部屋を使うことを許され、ロッテはソファーに眠り、マリーは椅子を並べて作ったベッドに横になった。

 エミールの家での暮らしはロッテにとって居心地の悪いものとなった。マグダが台所を使っている間は遠慮して入ることができず、マグダがいない間にコソコソと調理する。ほんの少し台所を離れて戻ってくると、ロッテの食器や食料品は床に打ち捨ててあることもあった。ロッテは私と違って慎ましい優しい性格なので、そういった意地悪に対抗するようなふてぶてしさを持ち合わせていないのだ。

 またある時は、わざと大きな声で、いったいあの難民たちはいつまでいるつもりなのだ、とエミールに聞いているマグダの声が聞こえてきた。なんとしてでも働いて、家賃を払わなくては。ロッテはマリーをエマ叔母さんに見てもらい、毎日仕事を探して歩いた。

 それから数日後、ペーリッツの工場で仕事ができることになった。それは工場で製造された配管の繋ぎ部分のフランジを、サンドペーパーで磨く単純作業だ。出来上がったフランジはオイルを塗って梱包され、ソ連に輸送された。作業中は終日ソ連兵に監視され、いい気持ちはしなかったが、それでも同僚の女たちとのおしゃべりは許されていて、久し振りに心が和んだ。若い女もいれば、年配の女もいたし、難民もいれば空襲で焼け出された市民もいた。給料は雀の涙ほどのものだったが、温かい昼食が食べられた上に、週に1,5㎏のパンをもらうことができた。難民にも食料配給券が支給されるようになったが、それだけで空腹をしのぐことは難しかったのだ。給料のほとんどを家賃としてマグダに支払っていたので、手元にはほとんど残らなかった。

 ロッテの靴は底がとうとうなくなり、工場で木靴を無料で分けてもらった。かつて外国人労働者用に作られた物が余っていたのだ。木靴は見苦しい上に、歩くたびにカパッ、カパッと奇妙な音を立てるのが何とも恥ずかしいのだが、それでもガラス片や釘がそこら中に落ちている路上を歩くには最適だ。引き揚げの際に自分の衣類はほとんど捨ててしまい、一張羅のシミだらけの服は穴の修繕はしたものの、かぎ裂き痕は隠せない。カパッ、カパッ、カパッ、カパッ・・・。うつむいて歩きながら、ロッテはマグダを思い描いた。美しいマグダは、今朝は真っ赤なハイヒールを履き、細いウェストを強調した真っ赤なワンピースを着ていた。金髪のウェーブがなんと見事だったことだろう。

 戦争で破壊された燃料工場の解体作業には、ドイツ人捕虜たちが従事していた。皆やせこえけて、眼だけがギョロギョロしている。ロッテは捕虜たちにパウルを知らないか尋ねて歩いたが、ソ連の監視兵にロシア語でどなられた。捕虜に話しかけるのは禁止されていたのだ。捕虜の一人が小声で、

「奥さん、ここにいなくてもがっかりしないで。捕虜収容所はヨーロッパ中に何十カ所とあるんだ。きっとご主人はどこかにいるよ。」

とロッテを慰めた。この男の妻も、きっと夫の帰りを待ちわびていることだろう。

 ロッテたちが住み始めたすぐあとに、エミールの家にはもうひと家族がやってきた。あれほど難民をいやがっていたマグダが快く受け入れたのは、その家族が中世から続く貴族出身だったからだ。ソフィア・フォン=オットフリード男爵夫人と4歳、5歳のふたりの娘たちは、新国境のオーデル川から15㎞東側に位置するマデュー湖畔の屋敷に住んでいたが、やはりポーランド政府に追い立てられて難民となったらしい。エミールたちには縁もゆかりもない人々であったが、エミールが運転手を務めているソ連軍将校から頼まれたのだった。

 化学の大学教授でもあるフォン・オットフリード男爵は、陸軍将校としてどこかで捕虜になっているらしい。ソフィア男爵夫人は謙虚な腰の低い女性で、敬虔なプロテスタント信者であった。広大な領地、ルネッサンス様式の屋敷、馬、家畜などすべてを失ったその物質的・精神的打撃ははかりしれないが、夫人は運命を嘆くでもなく、どこか飄々としていた。内面からほとばしり出るような美しさを持つ人で、言葉の端々に知性と教養とユーモアが感じられる。利発で躾の行き届いた子供たちはすぐにマリーと仲良くなり、一日中一緒に遊んでいた。(干し草や白アスパラガスの歌は歌わぬよう、念を押さなくてはならなかったが。)マリーの遊び仲間は出来るし、マグダの機嫌は良くなるし、暮らしの精神面は大幅に改善された。そしてロッテにとってもまた、男爵夫人との間に生まれた友情はかけがえのないものとなった。

「私も工場で働きたいのですが。」

 ある日、男爵夫人がロッテに声をかけてきて仰天した。この上品な夫人が一緒にサンドペーパーで鉄の塊を磨こうと言うのだろうか?そもそも働く必要があるのだろうか?

「汚い仕事ですよ。もっと別のお仕事を探された方が・・・。」

「お金が必要なんです。それに私、家でくすぶっているのが性に合わないのです。里でも馬小屋の掃除をしたり、家畜に餌をあげたりしていたんですよ。工場で働けるか、聞いてみていただけませんか?私の氏素性はおっしゃらないでください。」

と微笑んでいる。正気だろうか?とりあえず工場長に尋ねてみると、人手は必要だからいつでも来るように、と言う。

 こうしてロッテと男爵夫人ソフィアは朝一緒に工場に出かけ、午前中いっぱい一緒にサンドペーパーでフランジを磨き、一緒に昼食をとり、午後も一緒にフランジを磨き、夕方一緒に戻ってきて、両家族一緒に夕食をとる、という生活を続けた。相性が良かったのだろう、一日中いっしょにいても全く苦にならず、すぐにお互いをファートスネームで呼び合うようになり、二人称は敬称のSieから親称のduに変わった。この時代は今と違って、よほど親しくなければduで呼び合うことはなかったのだ。お互いの故郷のこと、家族のこと、映画、オペラ、演劇など、あらゆることを話し続けた。お互いに空腹だったし、将来は相変わらず暗雲の中にあったけれど、ソフィアと話している間だけは希望の光に包まれているような錯覚に陥った。

 ある日、ロッテはマグダにイライラした調子で話しかけられた。

「あなた、男爵夫人とduで話しているの?身の程知らずもいいところだわ。」

「あちらがそうしてほしいとおっしゃったのよ。」

いつになったら自分には親称とファーストネームで呼び合うことを提案してくれるのだろう?業を煮やしているマグダを見て、ロッテは少し嬉しかった。

 ロッテとソフィアの関係は日に日に親しみを増し、いつの間にか胸襟を開いて語り合える仲になっていた。

 ある時、ロッテが夫の生還を待っていると話すと、ソフィアは、

「ご無事をお祈りするわ。私の主人はね・・・。」

と言ってしばらく黙りこみ、静かに話し出した。それは衝撃的な内容だった。

 ソフィアの夫は1944年7月のシュタウフェンベルク大佐率いるヒトラー暗殺計画の共謀者ではなかったが、協力者としての嫌疑をかけられて銃殺刑となった。計画を事前に認知していたにもかかわらず、政府への通達(密告)を怠った、という理由からだ。人民法廷の悪名高きフライスラー裁判官に死刑判決を下され、即刻銃殺刑に処された。陸軍将校は貴族階級出身者がほとんどで、暗殺未遂事件では多くの貴族が処刑されたとは聞いていたが、ソフィアの夫もその一人だったのだ。

 

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上:中央がローラント・フライスラー裁判官。ヒステリックに大声をあげて被告人(反ナチス活動家)を罵る常軌を逸した人民法廷は記録映画でも有名だ。この見せしめ裁判によって、反ナチス活動家数千人に死刑判決が下された。向かって左に立つのは親衛隊指導者ハインリヒ・ヒムラー。

 

 死刑執行直後に、土地も家も財産もナチス政府に没収され、ソフィアと義母はナチスのシュトゥットホフ強制収容所に収容され、子供たちは教会が運営する孤児院に入れられた。終戦直前に収容所は解放されてソフィアは何とか生き延びたが、義母はそこでチフスで亡くなった。紆余曲折を経て、孤児院にいた子供たちと無事に再会することができたのは、つい二ヶ月前だと言う。

「強制収容所ではユダヤ人やポーランド人が絞首刑されるのを毎日のように見せられたの。かわいそうな人たち・・・。私自身、恐ろしい体験もたくさんしたわ。今、こうして生き延びることができたのは奇跡だわ。」

涙に濡れた目をしばたたかせながら、ソフィアはつぶやいた。

「財産が、氏素性がなんだというの?そんなもの、何の役にも立たないわ。とにかく命ある限り、私は娘たちを守り続け、立派に育て上げるつもりよ。」

 ソフィアの凛とした生きる姿勢は、どこから来るのだろう?いくら「氏素性など役に立たない」と言ったところで、貴族の誇りという太い精神的支柱は隠せない。誇り高い人々は強く、美しく、逞しい。たとえすべてを没収されても、私たち庶民を圧倒するような、確固たる信念や高貴なプライドというものを持ち続けていた。それは戦後ドイツのあらゆる方面における彼らの活躍が物語っている。ロッテは感動し、その時から木靴やシミだらけの服を恥じるのをやめた。

 9月になり、マリーとソフィアの長女、エリザベートは近所の小学校に入学することになった。ランドセルが買えるわけでもないので、エマ叔母さんが二人分のリュックサックを器用に縫いあげた。ソフィアは心から感謝し、お礼を渡そうとしたが、エマ叔母さんは、

「毎日、三人が遊んでいる姿を見ながら内職するのは幸せよ。こちらが感謝したいくらい。」

と言って、頑として受け取ろうとしない。それならば、とソフィアは厚紙と綺麗な包装紙をどこからか調達し、二人のためにシュールテューテ(円錐形の入れ物。下写真参照。)を作り、クッキーを焼いて中に詰めてくれた。貧しい人々こそ分け合うことの喜びと感謝を知っていた。

 

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上:戦時中の小学校新入生。手に持っていうのがシュールテューテで、中にはお菓子、おもちゃ、文房具などが入っている。ドイツでは小学校入学の際に親が準備する伝統がある。

 

 小学校までは遠く、子供の足で45分ほどかかるが、森の中を突っ切って行けば30分と大幅に短縮される。それにもかかわらず、二人は決して森を通ろうとはしなかった。そこには小さな魔女の住む小屋があるから、と言うのだ。

「魔女なんて童話のお話よ。本当にはいないわよ。」

ロッテが笑うと、翌日、二人は学校から泣き叫びながら帰って来た。

「母さん、母さん!魔女がいた!」

マリーとエリザベートは勇を鼓して、今日は森の中を通って帰ることにしたのだ。小屋の横を通り過ぎようとすると、突然木戸が開き、中から鼻の曲がったお婆さんがものすごい勢いで二人を追いかけてきたと言う。

「まさか!」

「本当よ!本当よ!」

ロッテとソフィアが訝し気に顔を見合わせていると、

「見に行きましょう。」

とソフィアが言う。

「本気なの?」

「もちろん!子供を脅かすなんて、いくらお年寄りでも許せないわ。」

 午後遅く、薄暗い森の中に二人は入って行った。トウヒ、オーク、ブナの木の香りが心地よいが、森の奥に進むにつれて肌寒くなり、空気は湿気を増していった。朽ちかけた蔦だらけの小屋を見つけ、恐る恐る木戸を開けてみたが、そこには老婆どころか人が住んでいる形跡もない。

「いやだわ、あの子たち、すごい想像力ね。」

ふたりが笑いながら木戸を閉めようとしたその時、奇妙な白い影が突然二人の目の前に現れた。まるで魂を持っているかのようにユラユラと、大きくなったり小さくなったりしながら、ずっとふたりの周りをからかうように飛びまわる。いったいこれは何なのか?ソフィアもロッテも怖くなって、一目散に森を駆け抜けた。家に戻るとマリー達は怖い、怖いといまだに青ざめている。魔女なんていなかったわよ、と平静を装い、それでも森には近付かないように言い聞かせた。学校では「魔女を見た勇敢なふたり」は尊敬され、たちまち人気者となり、二度と「難民の子」とは呼ばれなくなった。

 11月になり、「魔女の森」は黄金に輝き、クロヅルの群れはいくつものV字を作り、アフリカに向かって飛んでいく。この頃にはペーリッツの燃料工場解体も終了し、ドイツ人捕虜たちは、東部の別の解体作業場へ移送されていった。誰もが貧しく、空腹なのは変わらないが、それでも平穏な日々は続いた。

 12月の朝早く、ロッテが仕事に行こうと身支度を整えていると、階下からマグダの悲鳴が聞こえた。何事かと階段を駆け下りて行くと、ラジオニュースの男性アナウンサーの声が流れ続ける中、マグダがヒステリックに泣き喚いている。

「何があったの?」

エミールが真っ青な顔をして答えた。

「国境線が変更されたんだ。ここがポーランドになるって。」 

 オーデル川を新しい国境とし、それより西側は新ドイツとなるはずだった。シュテッティンも、ここペーリッツもオーデル川より西にあるのだから、当然ドイツ領であるはずなのだが、このシュテッティン一帯は例外的にポーランド領となることが決定したとラジオニュースが伝えたのだ。自動車産業などで栄えたこの有数の工業都市とその一帯をポーランド領に帰属させるため、国境線はオーデル川ではなく、例外的にそれよりも十数キロ西に引かれることとなった。地図上のたった一本の線が、何百万人もの運命を変えた。無事にドイツ本土に逃げ切ったことを喜び、新天地での暮らしを始めようとしていた矢先の難民たちの希望は、またも打ち砕かれたことになる。

 マグダはあれほど難民を忌み嫌っていたのに、まさか自分が難民になろうとは、想像もしていなかったのだろう。美しい金髪を振り乱して泣き叫んでいる姿を、ロッテとソフィアは茫然と見つめていた。ああ、こんなことをしている場合ではない!ジャガイモ!ジャガイモを買いに行かなければ!早く荷物をまとめよう!

 12月10日、再びロッテたちは町を追放されることとなった。今回はありがたいことに徒歩ではなく、ペーリッツ市で難民移送用トラックが用意された。とりあえずこれに乗ってベルリンに向かい、エマ叔母さんの友人宅にやっかいになり、翌日、ライプチヒ近郊の町べーメンに移住することとなった。そこには大きなガソリン製造プラントがあり、人手を必要としているというのだ。

 エミール夫婦は上司のソ連軍将校のツテで、たった二人のために大型トラックが特別に用意されていた。ロッテがふと荷台にうずたかく積まれた荷物を見ると、なんとそのてっぺんにマリーの人形用乳母車が乗っているではないか。それは先週のマリーの誕生日に、エマ叔母さんとロッテがなけなしのお金をはたいて買ったものだ。ロッテがトラックを止めて抗議すると、荷台に乗っていたマグダは荷物を這い上り、乳母車を手に取って路上に叩きつけた。木製の乳母車は車輪が外れ、籠が壊れた。トラックは何事もなかったかのように走り去り、あとには唖然とするロッテが残された。子供のおもちゃを盗み、壊し、平然と去っていく。いったいどういう育ち方をすれば、こんなことが出来るのだろう?エマ叔母さんはロッテの手を握ると、静かに言った。

「ロッテ、忘れなさい。彼女は私たちを傷つけることはできないわ。マリーにはベーメンで新しい乳母車を買ってあげればいいじゃないの。」

全くその通りだ。ロッテは気を取り直し、ソフィアを探した。ソフィアと娘たちは、別のトラックでベルリンに向かい、そこからやっと復旧した鉄道でリューベックの親類の家に向かうと言う。また会える日が来るだろうか?お互いのトラックに乗る前に別れを告げよう。ソフィアを見つけるとロッテの胸がいっぱいになり、涙が溢れた。

「ロッテ、どんなに辛いことがあっても、明けない夜はないわ。必ず心から喜べる日が来ると信じましょう。神様のご加護がありますように。」

ソフィアはロッテを抱き締めると、トラックの荷台に上がり、手を振った。

アウフ・ヴィーダーゼーン! また会いましょう!

 ロッテたちの乗っているトラック荷台は吹きさらしで、他にも30人ほどの難民を乗せている。ロッテはマリーを毛布でぐるぐる巻きにし、毛糸の帽子を被せたが、それでも寒いと言う。背中からマリーを抱き締めて、耳元で囁いた。

「何か歌って、マリー!」

「干し草の歌?」

ロッテが吹き出すと、マリーはいたずらっぽい目でロッテを見上げて笑った。