月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

ロッテの告白2.闇の中で

 丸二日間、ロッテとマリーは他の女たちと共に、このシーヴェルバイン近郊の地獄の館に監禁された。昼間は遠くから砲撃の轟音がひっきりなしに聞こえ、女たちは恐怖に凍りついた。果たしてドイツ国防軍は抗戦を続けているのか?それともドイツ軍はすでに撤退し、ソ連軍はただ破壊という快楽を貪るために乱射しているだけなのか?ロッテは町に残っているエマ叔母さんの身を案じた。

 この町に住む12歳以上のほとんどの若い女たちが強姦された。ソ連軍上層部は兵士たちの強姦と略奪を容認していたため、まさしく野放し状態、ヨーロッパじゅうでケダモノぶりを発揮した。

 「ドイツ軍は厳しい規律規範のもと、完璧に秩序が守られていたので、強姦はなかった。」との世間の声がかまびすしいが、確かにそのとおりだ。というのも、ドイツ軍は強姦せずに「秩序正しく」殺害していったからだ。それでも強姦はなかったわけではない。ユダヤ人との性交渉は法律で厳しく禁じられていたが、強制収容所に収容されていたのはユダヤ人だけではない。ポーランド人などの若い女たちは、収容所の親衛隊たちに性交渉と引き換えの「優遇」をもちかけられ、「自発的に」身を捧げた。「優遇」とはガス室行きを免除されることである。果たしてそれが強姦ではなく、あくまで本人の意思によるものと言えるのだろうか?

 三日目になって砲撃は止み、不気味な静けさが広がった。ソ連軍の部隊は再び西に向かって進軍を続けることになり、女たちはこの館から解放され、再び自宅に戻ることを許された。結局、シベリアには送られず、子供たちが誘拐されることもなかったのだ。果たして夫や父親たちが無事でいるのか、住居が残っているのか、帰ってみなければわからない。

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上:戦前のシーヴェルバインのマルクト広場。

下:終戦直後のシーヴェルバインのマルクト広場。瓦礫はすでに片付いている。

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 ロッテは朦朧とした頭を懸命に覚醒させながら、マリーの手を引いてエマ叔母さんの家に向かった。シーヴェルバインの中心地は砲撃を受け、かつては中世の雰囲気を色濃く残していた旧市街も、瓦礫の山と化していた。ソ連兵が略奪した後の商店は扉もショーウィンドーも壊されて、市民たちが残り物を物色していた。ロッテは小麦粉、砂糖、カラス麦などを掻き集め、誰も入っていない空っぽの乳母車に詰め込んだ。

 エマ叔母さんの家の玄関の前で、ロッテは中に入ることがはばかれて立ち尽くした。このドアの向こうで、エマ叔母さんが殺されていたら?いや、生きていてくれたとしても、孫のアンナの死をどう打ち明ければいいのだろう?ドアの鍵はかかっておらず、二人は家の中に入っていった。床には物が散乱して略奪の痕跡をとどめていたが、エマ叔母さんの姿は見当たらない。

「母さん、お腹すいた。」

監禁中はパンを少しもらっただけだから当然だ。さっそく盗んできたカラス麦で粥を作り、マリーに食べさせている間、家の中を片付けた。

 午後になって、エマ叔母さんが食料品を抱えて帰って来た。疲労困憊した様子で、ロッテたちの姿を認めると安心したのか、椅子に座りこんで泣き始めた。結局、叔母さんは侵入してきたソ連兵たちに強制的に町はずれの体育館に連れて行かれ、他の女たちとソ連軍の砲撃が終わるまで監禁されていたのだ。そこで何が行われていたかは、想像に難くない。

「アンナは?子供たちは?寝ているの?」

やがてエマ叔母さんが涙に濡れた顔を上げて、ロッテが一番恐れていたことを尋ねてきた。ロッテは覚悟を決め、包み隠さず、すべてを正直に話している間、エマ叔母さんの青い眼からみるみる涙が溢れて流れた。

「アンナ!アンナ!」

娘が連れ去られたあとに、今度は愛する唯一の孫の死を伝えられたのだ。エマ叔母さんは狂ってしまったのだろうか?泣きながら髪を搔きむしり、床の上を転げまわって絶叫しているエマ叔母さんをロッテは正視できず、手で顔を覆って泣いた。マリーも恐ろしさに泣きじゃくりながら、ロッテのスカートにしがみついている。

「人殺し!出て行って!自分の子供を殺すなんて、人間のやることじゃないわ!」

エマ叔母さんは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。ロッテは泣きながらマリーの衣類をまとめて乳母車に詰め込むと、マリーと共にエマ叔母さんの家をあとにした。

 二人はあてもなく歩き続けた。三月のポンメルン地方は野宿するにはまだ寒すぎる。何とかして一夜の宿を探し、マリーを安全な場所で休ませなければ。次第に二人の影が長くなっていき、とっぷりと日が暮れた。この土地では、頼れる人は誰一人いない。私はこの時のロッテの心境を思うと、胸が痛む。三人の子供たちを失い、母親を亡くし、凌辱に耐え、叔母に人殺しと罵られ、幼いマリーを連れて廃墟の中、寝床を探して歩きまわっていたのである。

 やがて鍵がかかっていない略奪後の商店に入っていくと、そこには家をなくした人々が20人ほど、すでに縄張り争いをしていた。ロッテは店の隅に毛布を敷き、マリーと二人、身を横たえた。

 人々は聞くに堪えないようなことばかりコソコソと話し続ける。町の映画館の主人は娘が強姦されそうになったのを止めて射殺された、男たちはシベリアに移送されたらしい、地下室やクローゼットの中やベッドの下に隠れていた男たちは引き摺り出されて射殺された、町を護衛していた警察官は全員射殺された等々。結局、この三日間で300人ほどの市民がソ連兵によって殺害された。

 翌朝のことだ。横たわっている自分の横に人の気配を感じ、ロッテは目を覚ました。まだ薄暗い店の中で、エマ叔母さんが涙を流しながらひざまずいているではないか。

「おお、ロッテ、ごめんなさいね。うちに戻って来てちょうだい。あなたこそ子供たちとお母さんを亡くして、どんなに辛いことでしょう。あなたはちっとも悪くないのに!ひどいことを言った私を許してね。さあ、うちで朝食にしましょう。熱いお茶を入れるわね。」

エマ叔母さんは一晩中、シーヴェルバインの町中を歩いてロッテたちを探していたのだ。やがてマリーが目を覚ますと、叔母さんはロッテの肩を優しく抱いて、三人は家路についた。

 ロッテたちを追い出してから、エマ叔母さんの心の中で様々な葛藤が繰り広げられたに違いない。悲しみと怨恨に悶え苦しんでいたエマ叔母さんが、ロッテの傷ついた心に寄り添い、後悔し、許しを乞うたのだ。叔母さんの心を占めていた慟哭を、どう諌めることが出来たのだろう?そこには神との対話があったのだろうか?叔母さんの優しさ、強さ、そして深い悲しみを思うと、私の目頭はいつも熱くなる。

 それからしばらくの間、ロッテ、エマ叔母さん、マリーの三人の暮らしが続いた。ソ連兵たちは叔母さんの宝石箱から、真珠の首飾り、ガーネットのブローチ、エメラルドがついた金の指輪、時計、万年筆、クリスタルグラス、銀食器などを盗んでいったが、なぜか最も高価な絵画だけは壁にかかったままだった。荒波にも堂々と浮かんでいる帆船の油絵は、19世紀の東プロイセン出身の画家、エミール・ノイマンの得意とするモチーフで、エマ叔母さんの父親、つまり私の祖父が形見として残したものだった。叔母さんはその絵を大層気に入っていて、どんな逆境にあっても優雅な姿を崩さない、この帆船のようでありたいと常々言っていたものだ。幸いなことに、ノイマンのこの絵は、ソ連兵の心には響かなかったようだ。

 ソ連軍が去ったとはいえ、平穏な日々が戻ってきたわけではない。また次のソ連兵の連隊がやって来ては、市民を震え上がらせた。ロッテは外出するとき、老女の振りをした。エマ叔母さんのなるべく地味な服を借り、杖をついて頬かむりをし、背中を丸めて足を引き摺って歩くのだ。その体勢で近くの井戸まで水を汲みに行ったり、食料を調達したりするのは重労働だ。ロッテだけではない。町中の女たちが変装したので、シーヴェルバインの町は老女であふれた。

 断水と停電は何とかなるが、食料不足は深刻だ。毎日、どこかに食料がないか「老女」たちが町を徘徊する。あるときは、ソ連軍が捨てて行った馬の死体に、ナイフを持った人々が蟻のように群がり、肉を削っては持ち帰った。病気の馬肉であったなら危険だが、背に腹は代えられない。たちまち馬は骨だけになり、野犬たちがその骨を嬉しそうに持ち去った。ロッテも当然その肉を持ち帰り、久し振りの肉料理を三人で堪能するのだった。

 三人の子供たちと母を失ったロッテの悲しみは深く、時を経ても風化することはない。それどころか、ますます喪失感と罪悪感は増し、放心状態で涙をこぼす時間も増えていった。毎晩のように見る夢の中で、子供たちは走り回って笑い、ロッテにまとわりつく。ああ、よかった。やっぱり夢だったのね。母さん、悲しい夢を見たのよ。でも、もういいの。みんな元気で良かった!小さな身体を抱き締め、ムチムチした頬にキスをしたところで、必ず夢から覚めるのだ。唇にはまだ柔らかい子供たちの頬の感触が、鼻腔には赤ん坊の甘い香りが残っている。ベッドの上でロッテは声を押し殺して泣き、隣で寝ているマリーを抱き締めて、夜明けを待つのだ。またある晩は、ルディがロッテのベッドの中に入ってくるような気配を感じた。おお、ルディ、来てくれたの?と歓喜して布団を持ち上げてルディの姿を探すのだが、布団の下は空っぽだ。おお、ルディ、ルディ、もう一度、金色の巻き毛を撫でながら、抱き締めて眠りたい。夫のパウルが戦地から戻ってきたら、いったい何と言えば良いのだろう?子煩悩な夫の悲しみを思うと、身が引き裂かれる思いだ。

 四月の復活祭祝日の朝、砲撃を免れた小さな教会で礼拝が執り行われた。キリストがよみがえった再臨のお祭りだというのに、集まった信者たちの顔は、まるで葬式の参列者のように暗い。教会の中は、暴虐と破壊の限りを尽くしていったソ連兵に対する憎しみと怒りに満ちていた。祭壇には黄色い水仙が、天井からは大きなイースター・リースが吊るされ、色とりどりの卵で飾られている。白髪頭の年老いた小さな牧師が説教台に上がると、穏やかだが泰然とした張りのある声で話し始めた。

「なぜこの世は理不尽な悲しみに満ちているのだろう?あなた方はきっとそう思っているでしょう。なぜ罪のない大切な人を失わなければならないのか?なぜ私たちは苦しまなくてはならないのか?それは私たちにはわからないことなのです。しかし、覚えていてください。私たちが悲しんでいる今こそ、イエス様はここにおられ、私たちを慰めようとされています。それはイエス様が悲しみを知る方だからです。そして私たち悲しみを知る者こそが、神の恵み深い愛を知りえるのです。この艱難辛苦の先には、必ず愛に満ちた神の御計画があります。どうかそのことを忘れないでください。あなたは一人ではありません。」

力強い説教は人々の心の琴線に触れ、多くの信者が涙を流していたが、ロッテの心にはまったく響いてこなかった。「一人ではない。」牧師が父なる神のことを言っていることはわかっているが、ロッテには神よりマリーのことしか考えられなかったのだ。マリーこそがロッテにとっての生きる意味であり、信仰そのもの。 マリーがいなければロッテの生きる力はとうに尽き、レガ川に戻って身投げしていたに違いない。ではコニーも孫もなくしたエマ叔母さんは?横に座っているエマ叔母さんを見ると、牧師の話に聞き入り、涙を流している。エマ叔母さんの手を握りしめると、叔母さんは優しくロッテの手を握り返した。「一人ではない。」叔母さんに向かって、ロッテは心の中で囁いた。

 1945年5月8日、ドイツは無条件降伏し、ナチス政府は滅亡した。結局、超兵器と呼ばれた秘密兵器の登場はなく、政府が約束した「豊かで秩序正しい社会」はどこにも存在しない。あるものは空腹と貧困と瓦礫の山だ。

 降伏のニュースが流れると同時に、いったいどこに隠れていたのだろう?赤い旗を持った共産主義者たちが喜び勇んで町を行進し始めた。窓から眺めているうちに、エマ叔母さんは行列の中に知っている顔を見つけた。

「まあ!フィッシャー氏じゃないの!ゾンメル夫人もだわ!あの人たち、ゲシュタポに通じてた密告屋よ。なんて人たちでしょう!」

エマ叔母さんは開いた口が塞がらない様子だった。恥を恥とも思わぬ厚かましさ。ここまで柔軟な政治的イデオロギーを持つのであれば、戦後の混乱時もたやすく生きていけることだろう。

 5月はスズランの季節だ。母が最も愛した花だったことを思い出し、ロッテはマリーと摘んできたスズランを家中に活けて母を偲んだ。甘い香りは優しくて悲しい。その頃にはロッテの髪はすでにグレーになり、頬のこけた顔にはたくさんの皺が刻まれていた。

「すっかりお婆さんだわ。」

鏡の前でロッテが力なく言うと、エマ叔母さんは慰めた。

「そんなことないわ。あなたはとても美しいわ。瞳は輝くブルー、高貴で濁りのないサファイヤのよう。」

優しいエマ叔母さんは、美しいコニーをどれほど恋しく思っているだろう?コニーの眼は青ではなく、クルクルとよく動く茶色、大きな瞳の中には小さな星が無数に瞬いていたのを思い出す。叔母さんはカモミール、バラ、アロエ、ハチミツで作った化粧水を、ロッテの荒れた顔に優しく塗りながら、

「全部使うとコニーに叱られちゃうかしら。また作ればいいわね。」

と微笑んだ。エマ叔母さんは、コニーが必ず戻ってくると信じていたのだ。ほのかに香る化粧水のバラの香りは優雅で、そして切ない。部屋の中がスズランとバラの香りでいっぱいになった。

 窓辺を色鮮やかなゼラニウムが飾る季節になっても、悲しみは終わらない。ソ連兵による強姦で、多くの女たち(少女を含む)が妊娠したのだ。ナチス政府は堕胎手術を法律で禁止していた。未来の兵士を増やすべく、民族の純血を守り、4人以上の子供を産んだ女性には銅章、6人以上は銀章、8人以上は金章の母親十字勲章を授けるほど、出産を奨励していた。人工中絶手術を受けた者には死刑が執行されていたため、妊娠した女たちは闇の手術をしてくれる医者を探した。ナチス政府はすでに存在しないのにもかかわらず、多くの医者は処置を拒み、結局、医療知識のほとんどない怪しげな中絶屋が大繁盛した。麻酔無しの見よう見まねの中絶手術は陰惨を極め、多くの女が命を落とした。ここドイツ領東部とベルリンだけで200万人の女が強姦されたのだ、いったいどれだけの闇の中絶手術が行われたのだろう?中には泣く泣く出産し、生まれた「ロシアン・ベイビー」を捨てる者、孤児院前に置き去りにする者もいたが、中には「赤ん坊に罪はない」と、自分の子供と分け隔てなく育てる者もいた。

 暗い世相とは相反して、子供たちは無邪気に夏を楽しんだ。子供は人生を楽しむ天才だ。森や野原を駆け回り、泥をこねて泥団子で戦争ごっこをし、池で水遊びを楽しむ。マリーもすっかり土地の子供たちと仲良くなり、毎日外で跳ね回っているのがロッテにとっても救いだった。

 5歳のマリーは、現状に納得する術を子供なりに心得ていた。おばあちゃんと弟、妹たちはいなくなっちゃったけど、その話はしちゃいけないの。だって母さんが悲しむから。母さんはしょっちゅう泣いていて笑わなくなったから、私は楽しい話をして、母さんが泣かないようにするの。でもどこの家も、きっと似たようなものよ、という具合に。子供は大人が思っているよりもずっと賢く逞しく、順応性があったが、密かに大人の気持ちを思いやり、気を遣っていた。 

 6月になると、告知板に新しい通達が貼られた。7月1日からポンメルン地方の鉄道はポーランド鉄道となり、ドイツ人の鉄道員は全員解雇、その他のシーヴェルバインの企業すべてがポーランド政府に没収される、とある。買収ではない、没収である。何代にもわたって築き上げてきた家族企業が、敗戦でいとも簡単に取りあげられるのだ。コニーの嫁ぎ先である織物企業もポーランド国営企業となり、1セントも支払われることはなかった。

 7月の雲ひとつない美しい朝のことだった。ロッテが台所で朝食の後片付けをしていると、エマ叔母さんが顔面蒼白で外から駆け込んできた。

「大変よ!ドイツ人はすぐに町から出るようにって!ポーランド政府からの通達よ!」

「いつまでに?」

「今すぐよ!大至急、家を空けるようにって。」

エマ叔母さんは持っているチラシをロッテに見せた。何と言うことだろう。ほんの数時間の猶予も許さずに、ドイツ人をここから追い出すというのだ。そしてドイツ人の所有するすべての財産・・・家、土地、家の中にあるすべてのもの、家具、ピアノ、ミシン、ラジオ、骨董品、車、家畜などすべてを没収し、新しい住人であるポーランド人に分配すると言うのだ。

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上:1945年7月14日、バード・ザルツブルン(現在はポーランド領)のドイツ人住民宛の立ち退き命令のチラシ。このころ、ポーランド領に併合されたすべての旧ドイツ領の住民に、似たようなチラシが配布された。

日本語訳:ポーランド政府は下記のことを命じる。1.1945年7月14日(注:配布された当日)6時から9時の間に、ドイツ人は立ち退くこと。2.ドイツ人住民はナイセ川西部に移住すること。3.荷物は一人20㎏までとする。4.自動車、牛車、馬車などの使用を禁ずる。5.全ての家畜と使用可能な農耕機械は、ポーランド政府の所有となる。6.立ち退きの最終制限時間は10時とする。7.この命令に背いた者は銃殺刑に処す。8.物品の破壊と略奪に対しても同様に銃殺刑に処す。(注:すべてポーランド政府の所有となるため、20㎏以上の物品を持っていくことは略奪とみなされた。)9.集合場所はサルツブルン・アーデルスバッハ駅。10.非退去証明書を所持するドイツ人(特殊技能を持つ職人など)とその家族は、5時から14時までの間、外出禁止とする。11.すべての家、アパートは施錠せず、鍵はドア外側に差し込んでおくこと。

 

 連合国首脳がドイツの戦後統治やドイツ領割譲について取り決めたポツダム会談は、この後の8月に入ってからである。しかし、それ以前からこうして追放は始まっていた。連合国管理理事会は、ドイツ本土の各州の難民受け入れがどの程度可能であるかを調査してから、ドイツ人を移動させるべきであると取り決めたのだが、時すでに遅し、である。

 ロッテは慌てて手押し車の中に、当面必要なものだけを詰め込んだ。マリーの衣類、枕、毛布、食料品。ノイマンの絵は額縁から外し、手押し車の底に敷いた。その他にも自分の衣類や食料品をまとめてテーブルクロスに包み、背負えるように整えた。スーツケースはなぜかソ連兵たちの垂涎の的であったため、皆、略奪を恐れて同じようにテーブルクロスやシーツに包んで背中に背負って歩いた。とにかく慌てていたので、コートやブーツなど冬物にまで思いが及ばなかったのが後々悔やまれたが、その時にはまだ、いずれは家に戻れるものと確信していたのだ。連合軍はまだ何も取り決めておらず、協定も結ばれていないのだ。これは一時的な追放に違いない。それとも?ロッテの頭に『ヨブ記』の一節がふと浮かんだ。

     わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。

     光を待っていたのに、闇が来た。