月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

フーゴとの再会

 1946年が明けてすぐ、フーゴはやって来た。

 空襲でところどころ遮断されていた鉄道路線はいまだに復旧しておらず、バスやローカル線を乗り継ぎ、随分遠回りをして、二日がかりで私たちの住むブルンスホルム村に到着した。

 粉雪が舞う午後、家族全員で駅まで迎えに行くと、汽車からたったひとり、やせ細った男が降り立った。まるで別人だ。髪はグレーになり、顔はくすんで皺が目立ち、目は落ちくぼみ、まだ三十代なのに五十代に見える。これまでの苦労が一度に見て取れて、義母も私も涙をこらえることが出来なかった。フーゴは大きくなった子供たちに目を見張り、初対面のギザを見つめて涙を流した。フランツもアニタも父親のことは覚えていないらしく、恥ずかしそうにもじもじしていた。

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上:1946年、捕虜収容所から解放され、家族のもとに戻った若い兵士。母親の顔が喜びに溢れている。

下:10年以上の捕虜生活から解放され、駅で再会を喜ぶ夫婦。

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上:息子の死を知らされる母。

下:捕虜たちが帰郷する駅で、行方不明の息子についての情報を求める母親たち。

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 エッゲ夫人の厚意で、フーゴの滞在中、私たち夫婦は客間を使わせてもらえることになった。その他にも、心優しいエッゲ夫人は、卵や肉を私たちに無料で分けてくれた。

 通常はパンとチーズだけの夕食のところを、義母と私は張り切ってフーゴの好物、ケーニヒスベルク風肉団子を作り、久し振りの温かい夕食に舌鼓を打った。

 私は失われた時間を取り戻そうと努め、村での出来事をおもしろおかしく話して聞かせた。エッゲ夫妻のこと、ここに住む難民たちのこと、親切なトニおじさんのこと、ダンツィヒから持ってきたソリ、畑仕事で収穫する新鮮な野菜、夏のコウノトリ、葦の生い茂る湖、小さな教会、すみれの咲き乱れる野原・・・。辛かった引き揚げの話は一切せず、ここでの楽しい話だけを聞かせた。失ったものを数えるよりも、現在の喜びに目を向けさせたかったのだ。

 しかし、フーゴはどこか悲しげで、以前の明るいユーモラスな反応がない。無理もない、ベルリンでの攻防戦に巻き込まれた後、ソ連軍の捕虜になり、今は長旅の後で疲れているはずだ。

「切手はどこ?」

夕食後、フーゴがふいに尋ねた。なにを言っているのか理解できず、ぽかんとしている私にフーゴは続けた。

「切手のアルバムだよ。僕の大切なコレクション。まさかエルビングに置いてきたんじゃないだろうね。」

義母もヴァリーも私も唖然としてお互いの顔を見合わせた。この人は何を言っているのだろう?

「持って行ける荷物は限られていたのよ。子供の衣類や食料品だけしか持って来れなかったの。他の物はすべて置いてきたわ。わかるでしょう?」

フーゴは怒りに燃える目で私を睨むと、階下の客間に降りていった。

 夜も更け、子供たちをベッドに寝かしつけると、私も客間に降りて行った。ドアを開けると、そこにはベッドに腰かけて頭を抱えて泣いているフーゴがいた。

「ヒルデ、君にはわからない。」

驚いたが平静を装って、私はフーゴの頭を抱きしめた。

「大変だったのね。辛かったわね。でもこうして生きているんだから・・・。」

と言いかけると、フーゴは私の手を振り払い、低い声で唸るように言った。

「自分たちは生きていて良かったと、君は喜べるのかい?」

ギラギラと燃えるような目で睨みつけられて、私は身動きができなくなった。そこには私の知らないフーゴがいた。呆然と立ちすくむ私をよそに、フーゴはさっさとベッドに横たわり、背中を向けて寝てしまった。

 あれほど再会を喜んでいたのに、フーゴの滞在は重苦しく、悲しいものになってしまった。義母も私も努めてフーゴを喜ばせようと、散歩に誘い出し、なけなしの食材で料理をし、なるべく子供たちと一緒にいさせようとしたが、フーゴは何にも興味を持たず、悲しげにため息をついてばかりいた。フランツとアニタがソリに乗って丘の上から滑り降りてくる様子も、ただタバコをふかしながら静かに見つめるだけで、にこりともしない。夜は客間に入るとすぐに私に背中を向けて横たわり、私に触れることは一度もなかった。私はまんじりともせずに、ただ暗闇を見つめていた。

 一週間足らずで、フーゴはマグデブルグに戻ることになった。役所で「非ナチス党員証明書」を発行してもらい、就職活動を始めるのだ。ナチスと関わっていたか否かで、男たちの戦後の人生は大きく変わった。元ナチス党員は公職から追放され、教師や公務員職に就くことは許されなかった。ほんの二年前まではナチスの党員というだけで飛躍的な出世ができたのに、戦後はナチス時代のすべてのイデオロギーが否定され、糾弾された。マグデブルグの実家は燃えて無くなっていたので、とりあえず一家が住めるだけのアパートを探し、落ち着いたら私たちを呼び寄せることになった。

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1946年当時のマグデブルグ市。

 

 私はフーゴのことがどうにも心配でならなかったが、幼い子供たちを残してついて行くわけにはいかない。雪の降る野ざらしのプラットホームで、フーゴは私の頬に味気ないキスをすると、さっさと汽車に乗り込んで行ってしまった。残された私は、汽車が消えるまでそこに立ち尽くしていた。

 帰り道、雪がますますひどくなり、頬も鼻も凍りそうだ。クリスマスはとうに終わっていたが、家々の窓辺にはまだクリスマスの手彫りの工芸品が飾られており、クリスマスツリーも見える。どこからともなくバッハのクリスマスオラトリオ第6部の歌が聞こえてきて、仮装した三人の子供たちが私の横を通り過ぎて行った。冠を被り、マントを羽織り、手にはそれぞれ贈り物を持っている。そうだ、今日は1月6日、東方の三人の賢者が、星に導かれて生まれたばかりのイエス様に会いに来た日、顕現日だ。馬小屋にやって来た賢者たちは、赤ちゃんを囲んで喜びにあふれ、捧げものをし、そこは感謝と感動に満ちあふれたことだろう。仮装した三人の子供たちは楽しそうに村を練り歩き、歌を歌う。ちょうど今は夕餉時で、家々の中から笑い声が聞こえてくる。いつか私たちにも同じように喜びにあふれ、笑いに包まれる日が来るだろうか? 

 翌日、私は義母にフーゴが精神を病んでいるのではないか、という懸念をそっと打ち明けた。そうだとすれば、精神医療の力を借りる必要があるのではないか?すると、普段はおっとりと穏やかな義母が、突然烈火のごとく怒り始めた。

「あなたは私の息子を狂人だと言うの?フーゴをかわいそうだと思わないの?きっと大変な体験をして、元気がないだけよ。おお、ヒルデ、あなたはなんて残酷な女なの?一生、許さないから!」

そう怒鳴ると、ドアをけたたましく閉め、外に出ていった。それから数日間、義母は私と口をきこうとしないほど、怒りは相当なものだった。

 二週間ほどして、フーゴから手紙が届いた。アパートが見つかったのかしら?それとも就職先が決まった?期待に胸を膨らませて開封し、便箋に目を走らせ、私は唖然とした。

「愛する妻よ、君は私が狂人だと言っているそうだね。ひどい嫁だと母が怒って手紙をよこした。私は精神病など患っていない。家族から遠く離れて独り寂しく暮らす私を、妻は狂人扱いするのだ。どれほど私が傷ついたかわかるだろうか?」

今度は私のはらわたが煮えくり返った。なぜ本人に?なぜ?

野良仕事に精をしている義母のところに行くと、抑えようもない憤怒の念がほとばしり出た。

「お義母さん、あんまりじゃありませんか!なぜフーゴにそんなことを書いたんですか?それに私は狂人だなんて言ってません!」

最初はぽかんとしていた義母であったが、私が握りしめている手紙を見てようやく理解した様子で、まっすぐ私を見つめて毅然と言ってのけた。

「私はあの子の母親ですよ。あの子のことは私が一番よく知っていますからね。精神病だなんて言われて、黙っていられますか!」

私たちは怒りをぶつけあい、初めて罵り合いの大喧嘩をした。

 夜、寝支度を終えた子供たちと主の祈りを唱え、いつものようにおとぎ話を話し、おやすみのキスをした。

ベッドの中からフランツが尋ねる。

「父さんはまた来るの?」

「いいえ、今度は私たちが父さんのところへ行くのよ。」

「ここがいいな。ずっとここにいたい。」

「ここは私たちのおうちじゃないのよ。父さんがもっと広いおうちを探してくれてるからね。」

「父さんと住むの?」

「もちろんよ。どうして?嬉しくないの?」

フランツはちょっと考え込んで、小さな声で言った。

「だって父さん、悲しそうなんだもの。トニおじさんの方が好きだな。ソリもサッカーも一緒にやってくれるんだよ。」

鼻の奥がツンとした。

「あらそうなの?私は父さんの方がいいわ。」

「そりゃそうだよ。だって母さんはサッカーやソリ遊びの相手は要らないでしょ?」

私は笑った。私が笑ってフランツは嬉しそうだった。

「父さんはね、戦争で大変だったのよ。だから悲しいの。フランツが元気にしてあげてね。元気になったら、きっとソリもサッカーもするはずよ。」

「うん。いいよ。」

フランツは大きなアクビをすると、すっと眠りの世界に入っていった。

 ランプを消して窓の外を眺めると、遠くに見える黒い森の樹氷が三日月に照らされ、妖しく光っている。久しぶりに雲一つない夜空に、星が瞬いている。家族が寝静まった小さな屋根裏部屋で、いびきをかいて寝ている義母の顔を眺めていると、その眼から一筋の涙が流れるのを見た。愛する息子が生きていてくれる、義母にはそれだけで十分すぎるほど十分なのだ。何があっても義母はフーゴの味方であり、死ぬまでフーゴを守り続けるだろう。その愛情に私は圧倒され、それと同時に寂しかった。ひとり置き去りにされたような孤独感に身がすくむ思いだった。これからずっと、私はたったひとりで戦っていかなくてはならないのだろうか?ほのかな月の光が、滲んで揺れている。

 このままではいけない。私が鬱になってどうするのだ!

 翌日、私は隣町に住むシュルツ牧師のもとに急いだ。相談相手として最も信頼をおける人物だったからだ。

 幸いシュルツ牧師は在宅中で、走り込んできた私に驚きながらも、温かく迎え入れてくれた。私は再会した夫がまるで違う人格を持っていることを話すと、牧師は静かにそれを聞き、そして言った。

「シュライバーさん、実はここ数ヶ月の間で、同じ症状を持つ帰還兵のご家族から、同じ相談を何件も受けています。私は精神科の医師でも専門家でもありません。でも予想できるのは、前線と捕虜収容所での壮絶な体験を通して精神的な傷害を負ってしまう、いわゆる戦争神経症をご主人は患っておられるのだと思います。これは第一次世界大戦から戻った多くの兵士が患った精神疾患でよく知られています。長時間、恐怖にさらされたことが原因です。人によって症状は様々ですが、私がよく聞くのは、鬱、攻撃的言動、無気力です。」

私の両目から涙がハラハラと落ちた。

「まさしくその症状です。攻撃的になったり、落ち込んだり。全く別人なんです。」

シュルツ牧師は深々と頷いた。

「瓦礫は片付けられ、町は新しく生まれ変わりますが、傷ついた心はそう簡単に癒されるものではありません。これはドイツがこれから解決しなければならない、最も大きな問題になると思います。」

やはりフーゴは精神を病んでいるのだ。私は涙を抑えることができなかった。

「主人は、治るのでしょうか?」

「時間はかかるかもしれませんが、治ります。まず、あなたが治ると信じなくてはいけません。決して責めたり、叱ったり、励ましたりしないで、ご主人の言葉にただ耳を傾けてあげてください。ご主人の苦しみを受け入れ、恐怖を取り除いてあげてください。本当はそばにいてあげられればいいのですが、それまでは手紙でお子さんたちの様子を伝え、愛していることを伝え、安心させてあげてください。そしてご主人は必ず治るとあなたは固く信じ、祈ってください。」

「義母は夫の神経症を信じないのです。指摘したら大変怒ってしまって・・・。」

「母親というものは息子が正常だと常に信じていたいものなのです。怒ったということは、きっとお義母さんの中にも、思うところがあったのかもしれません。今はお義母さんをそっとしておいてあげた方がいいでしょう。」

昨日の義母との怒鳴りあいを思い出し、顔が熱くなった。とても「昨日、罵り合いました。」とは言えなかった。

「もしかしたら、今後、あなたは大変寂しい思いをされるかもしれません。しかし、神は耐えられない試練を私たちにお与えになりません。あなたは一人ではない。神は常にあなたと共におられるのです。苦しくなったらここに来てください。共に祈りましょう。」

シュルツ牧師と私は蠟燭に火をともすとフーゴの回復を祈り、常に私と共におられる主に感謝を捧げた。 

 戦後の統計を見ると、ソ連の捕虜となったドイツ兵315万人のうち、35%にあたる110万人が餓死、凍死、病死、殺害されている。フーゴは運良く半年ほどで解放された最初のグループに属したが、最後に解放された1万人のグループは、なんと1955年、つまり10年以上もの間、悪名高きソ連の捕虜収容所にいたということになる。生還した兵士の多くが捕虜時代について沈黙したが、鬱、不眠、吐き気、震え、攻撃的言動、無気力、言語障害などの症状に苦しみ、自殺する者も多かった。特にアグレッシブな言動に夫婦仲が険悪になったり、子供への虐待が増加した例も多い。シュルツ牧師はこの時すでに、帰還兵たちの精神的ケアが必要と考えていたのだった。 

 治る。必ず治る。シュルツ牧師の家を出て、私はそう唱えながら吹雪の中、家路に着いた。冗談が大好きで、食いしん坊で、子煩悩で、無邪気に笑うフーゴが戻ってくる日が必ず来る。もうこれ以上、戦争に振り回されるのは真っ平だ。