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月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

村での日々 1

 難民たちは目的地別のグループに分けられて乗車し、私たちはベルゲンフーゼン経由でブルンスホルム村の農家に送られることになっていた。

 車窓からは延々と広がる牧草地と、遠くにのんびりと草を食む牛たちが見える。これが休暇ならば心癒されるだろうが、転居先となると話は別だ。この先、私たちを待つのはどんな土地なのか、全く見当がつかない。各駅に停車するたび、難民たちはどんどん汽車から降りていく。

 野ざらしのプラットホームがあるだけのブルンスホルム駅に到着すると、8組ほどの家族と一緒に下車し、汽車は再び走り去った。難民局の話では、下宿先の大家の名前はエッゲ家といい、そこの主人が駅まで迎えに来てくれるはずだ。小さな駅にはすでに下宿人を迎えに来ている馬車が何台も停まっており、御者たちが名前を呼んでいる。しかし「シュライバー家」が呼ばれることはなく、私たちは途方に暮れた。最後に残っていた馬車の御者に住所を渡して尋ねると、

「ああ、エッゲ家ならその道をまっすぐ行った突き当たりを左に曲がってまっすぐ行けば、暗い森の横にあるよ。白い家だからすぐわかるよ。」

とムチでそちらの方向を示す。ここにいても拉致があかないので、徒歩で向かうことにした。

言われた通りに30分ほど歩くと、なるほど、暗い森の横に小さな白い農家がある。窓越しに台所で食事をしている、初老の夫婦が見える。私はガラスを軽くコンコンと叩き、

「こんにちは、シュライバーです。今日からお世話になります。」

と叫んだ。聞こえているはずなのに応答がない。

「子供三人と家政婦の女の子ひとりと私です。」

応答なし。

「義母もいます。」

男のほうが頭を抱えて叫んだ。

「なんてこった!そんなにいるのか!」

それがその主人の第一声であった。夫人は立ち上がり、玄関に出向くと、

「こちらにどうぞ。部屋は屋根裏になります。」

と無表情に私を招き入れた。

 階段を上った先の踊り場の天井からは、大きな燻製肉が三本吊るしてある。屋根裏部屋は12㎡ほどで、古い二段ベッド2台にはマットレスの代わりに藁が積み上げられ、他には小さなテーブル、椅子が2脚、小さなオーブンがひとつ、クローゼットがひとつ。窓からはブナの森、延々と広がる牧草地が見えて、見晴らしはとても良い。これが我が家となる。

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上:当時の難民の住居。

 最初の数日は、調理器具も揃っていないことから、エッゲ夫人と一緒に台所で調理をさせてもらった。これが功を奏して、一週間もするとエッゲ夫人は実は物静かな優しい人物で、ただ支配的な夫を常に恐れて遠慮しているのだということがわかった。

「息子たちもとっくに家を出てるし、夫がいなくなったらひとりぼっちになるわ。あんな人でも一緒のほうがまだまし。」

エッゲ夫人はそう言って苦笑いした。この村では離婚など、まず有り得ないことらしい。それでも相容れない夫婦の関係は、私に小さな利益をもたらした。私が愚痴を聞いてくれることにシンパシーを感じたのか、エッゲ夫人は私たち家族に親切にしてくれるようになったからだ。家賃として毎月10ライヒスマルクを支払ってはいたが、それ以上に世話を焼いてくれた。夫には内緒で、焼きたてのパンやソーセージを分けてくれることもあったし、エッゲ家の乳牛から、一日1リットルの牛乳を飲むことも許された。食料に関しては、確かに都会よりも村での暮らしの方が恵まれているようだった。

 時々、主人のよく響く低い声が聞こえてきた。

「おい、燻製肉は無事だろうな?」

私たちが天井から吊るしてある燻製肉を盗まないか、心配しているらしい。というのも、以前、近所に住んでいる難民が、エッゲ家の鶏舎から卵を盗んで行ったことを根に持っていたのだ。「盗む」という発想は、どんなに空腹でも私には有り得ないことだったし、ほんの出来心ですべての信頼を失ってしまうのは、私たち難民には致命的なことなのだ。

 この村にも難民がますます増えていった。道を歩いていると、難民の老人たちによく話しかけられた。

「自分は東プロイセンでは名門の出で、大きな屋敷も、財産も失った。しかし、なにより一番辛いのは、家族を失ったことだ。妻を空襲で失い、息子は戦死した。私は生き延びたが、今では乞食同然だ。いったい生きていて何の喜びがあるのだ。死にたい。死にたい。神は私を見放したのだ。」

何十年もかけて蓄えてきた財産も、培ってきた文化も、慈しんできた故郷も失った。それでも家族があれば生きる希望もあろう。それさえも失った老人たちが「死にたい」と言っているのだ。そこらじゅうをフラフラとあてもなく歩き、涙を流している。十字架につけられ、天に向かって叫んだキリストの言葉が、私の胸に去来する。

エリ、エリ、レマ、サバクタニ 

(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)

 戦争さえなければ、今頃は豊かな東プロイセンで孫たちに囲まれた、静かな余生を送っていたはずだ。難民の老人たちの孤独と絶望に、私はかける言葉が見つからなかった。

 悲しみに打ちひしがれている老人たちとは対照的に、子供たちはすぐに村の子供達と仲良くなり、外で歓声を上げながら走り回っていた。

 ある日、フランツが寂しそうに肩を落としてひとりで帰ってきた。

「どうしたの?お友だちは?」

突然、泣き始め、しゃくり上げながら話しだした。いつも遊んでいる友達5人が、今日からは一緒に遊べないと言う。フランツはその中の一番大きいペーターに尋ねた。

「どうしてだめなの?」

「母さんが、フランツはジプシーだから一緒に遊んじゃいけないって言うんだ。だからもう君とは遊べないよ。」

「ジプシーってなに?」

「知らない。」

私はフランツを抱きしめ、湧き上がる怒りと戦っていた。少しましな洋服に着替えると、肩をそびやかして、ペーターの家に向かった。さあ、決闘だ。

 その子の家の扉をノックすると、中から気の強そうな母親が怪訝そうな顔をして出てきた。

「こんにちは、シュライバーです。フランツの母です。」

「なにか用ですか?」

「私の息子はおたくの息子さんといつも楽しく遊ばせてもらってます。それをなぜ禁止なさるんですか?」

母親は私を睨んでいる。私は静かに続けた。

「私たちは東プロイセンからの難民で、ジプシーではありません。今は不自由な暮らしをしていますが、これは一時的なものです。夫と連絡さえつけば、マグデブルグでまた昔通りの豊かな暮らしに戻れるのです。それまでは、どうか子供同士の友情を壊さないでやってくださいまし。お願いします。一緒に遊ばせてあげてください。」

本当は叱りつけたかった。啖呵を切りたかった。こんな心のねじ曲がった田舎女に、なぜ私は頭を下げるのだろう?しかしフランツが友達を失うことのほうが、私にはずっと辛かったのだ。母親は私を睨んだまま、

「わかりました。」

と一言だけ言うと、バタンと戸を閉めた。

日が沈み始め、自分の影が細く長くなっていく。歩くたびにヒョロヒョロと頼りく動く影を見つめながら、私はポプラ並木の続く家路に着いた。なぜか泣けて仕方なかった。

 屋根裏部屋で質素な夕食を取り、私たちは寝る支度をした。ろうそくの火を吹き消し、窓を開けてひんやりした外気を入れてみると、どこからともなくライラックの香りが漂ってくる。長く辛い冬が終わったのだ。朧月の光に包まれながら、ベッドの前に跪き、子供たちと一緒に主の祈りを唱える。

「天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ・・・。」

そして私はベッドの上でフランツとアニタを抱き締め、童謡「月は昇りぬ」を歌うのだ。

 

月は昇り 金の星は輝き

空は明るく澄みわたる

森は黒く黙りこみ

草原には神秘的な白い霧がたちこめている

なんと静かな世界だろう

夜明けのベールに包まれて

それは優しくいとおしい

まるで居心地のいい小さなお部屋みたい

たとえどんなに辛い日であっても

眠り、それを忘れなさい

 

 窓を閉め、子供たちに即興の物語を話す。今夜は森の動物たちのオーケストラの話にしよう。打楽器は誰にしよう?キツネ?うさぎ?一生懸命考えている子供たちをよそに、私のほうが先に寝入ってしまうのだった。

 ナチス政府はベルリンで徹底抗戦を続けたが、1945年4月30日、ヒトラーは新妻エヴァと地下壕で自殺し、5月7日、ドイツは全面降伏した。首都ベルリンは瓦礫と化し、ドイツ帝国によるヨーロッパ制覇というヒトラーの野望はもろくも崩れ去った。600万人のユダヤ人が殺害され、580万人のポーランド人、ソ連人にいたっては2,700万人が犠牲になった。では690万人のドイツ人の死者は、犠牲者とは言わないのだろうか?ハンスは?父は?ヴィルヘルムは?海の底に沈んでいったグストロフ号の乗客たちは?強姦の末に殺された少女たちは?道端で凍っていた赤ん坊たちは?

 いまだにフーゴからも、姉、母からも、連絡がない。私たちの無事と新住所を書いた手紙を、マグデブルグにも、ライプツィヒのフーゴの姉にも、シュトゥットガルトの兄ワルターにも送ったのに、誰からも返事が来ない。生きているのか。死んでいるのか。考えても仕方ないとはわかっているのに、その不安は晴れることがなく、心は重い。

 それでもギザはもうすぐ生後半年になる。本来は生まれてすぐ施すはずの洗礼を、難民生活で先延ばしにしていた。エッゲ夫人に相談すると、そういえば近所に難民の牧師が移って来たから、ここで自宅受洗をしてもらおう、ということになった。

 五月のシャクナゲが満開の美しい日曜日、シュルツ牧師夫妻がやって来た。まだ三十前後の若い夫婦だが、少し会話をしただけで内から知性が溢れ出てくるのがわかる、まことに美しい人々であった。

 白いロウソクのような花が満開なトチノキの下で、小さなギザは厳かで感動的な洗礼を受けた。冷たい聖水を頭に受けて、ギザはニコニコと笑っている。かつてナンツ夫人にもらった白い布地で作ったワンピースが、なんとも愛らしい。洗礼式の後、エッゲ夫人の好意で、庭に白いテーブルクロスをかけた大きなテーブルを出し、ケーキとお茶を楽しんだ。近所の子供たちもやって来て、ケーキを食べ、野原を駆け回って遊んでいる。

 牧師夫妻はダンツィヒの出身で、グストロフ号よりも前の輸送船に乗って助かった。しかし、生後六ヶ月の赤ん坊は船上で亡くなり、海に葬ったと言う。淡々と語る牧師の悲しい話にしんみりとしたその時、庭の白樺の木の枝にとまっているツグミが、ピュロピュロとさえずり出した。悲しみを抱えた者の上にも、一様に春は来るのだ。私たちは顔を見合わせて微笑み、一緒にシューマンの「美しき五月に」を歌った。

 

美しい五月に

鳥たちは歌い

僕は彼女に

憧れと望みを打ち明けた

 

ゲーテ、アイヒェンドルフ、メーリケ、フォンターネ。どれほど多くの天才たちが、この美しい五月に天からインスピレーションを授かり、世界中を喜ばせてくれたのだろう。私たちは知る限りの春の詩を謡い、五月の午後を楽しんだ。牧師夫妻との時間は、善なるもの、美なるものの存在を思い出させてくれる、貴重な時間であった。燻製肉が減っていないかと疑われたり、息子を仲間はずれにされて傷ついたりする日常は、なんと愚かでつまらないことだろう。

 それから何日か経った朝早く、私はトラックの音を聞いた。窓の外を見て震え上がった。幌付きの軍用トラックが庭先に停車し、中から数人の外国人兵士がパラパラと降りてきたのだ。ソ連兵だったらどうしよう?戦争が終わってからも「フラウ・コム!(女、来い!)」と言って強姦するのは有名だったから、私は慌ててヴァリーを クローゼットに隠した。

 しかし、階下から聞こえるのは、間違いなく英語だ。よく見れば、トラックにもイギリスの国旗が掲げてある。英語を理解しないエッゲ夫人が、困り果てて私を呼んでいる。階下に降りて若いイギリス兵たちの話を聞いてみると、森で鹿をしとめたので、ここで料理させてほしい、肉の残りは私たちに食べてもらって構わない、と言う。エッゲ夫人に伝えると、

「ダメよ!密猟は禁止されているのよ。畜殺はすべて村役場の許可がいるの。バレたら罰金よ!」

と真っ青になっている。

「主人に叱られるわ。絶対にダメよ!」

エッゲ夫人はお人好しの善人で好きだったが、この時だけはなんと馬鹿な人だろうと思った。私はイギリス兵に英語で伝えた。

「喜んで台所をお使いください。でも解体作業はここではなく、裏庭の人目につかないところでお願いします、と言っています。」

イギリス兵は喜び勇んで、トラックから大きな鹿を担いできた。

「ダメよ!ダメよ!役場に知れたら大変よ!」

エッゲ夫人はまだ騒いでいる。

「役場から許可をもらってるんですって。心配はいらないわ。大丈夫よ!」

その日の昼食から数日間、私たちは毎食、素晴らしいビジエに舌鼓を打ったことは言うまでもない。エッゲ氏は、

「まさか役場がヤツラに許可を与えるとはな。結局、連合国には頭が上がらんってことだな。フン、情けない!」

と言って、肉汁だらけの指をペチャペチャと舐めた。

学生時代、英語の教師が厳しく、私は英語の授業が大嫌いだったが、この時ばかりは感謝したものだ。