月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

夕星の歌

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宿泊を許された農家では、大抵玄関口や広間に毛布を敷いて休ませてもらった。ただでさえ底冷えのする家屋の床に横たわるのは辛いが、贅沢は言えない。中には馬小屋で家畜たちと寝ている難民もいたのだ。

しかし、ある晩、私たちは大地主の屋敷に泊まることが許された。この大金持ちの家族はすでに自家用車で避難していたが、驚いたことに年老いた当主は屋敷に一人残り、明日、用事を済ませ次第、愛馬にまたがってこの屋敷を去るのだと言う。

親切な当主は私たちを丁重に迎え入れると、屋敷の中を案内してくれた。19世紀半ばに建てられたビーダーマイヤー様式の屋敷はシンプルだが上品な優雅さがあり、マホガニーの家具たちはこじんまりとそこに置かれている。住人の趣味の良さを感じさせる、居心地のよい住居であった。

「好きな部屋でおやすみ。何を使ってもかまわないよ。どうせソ連軍が来たらすべて没収されるんだから。」

申し訳ないと思いつつも、このような豪華な屋敷で眠れることは夢のようだった。しかし天井の高い大きな部屋は寒く、天蓋付きベッドは冷え切っていて風邪を引いてしまう。私たちは居間にマットレスを運び込んで暖炉の前に敷かせてもらい、そこで寝ることにした。久し振りに子供たちをお風呂に入れよう。そうだ、ギザのオムツを洗わなくては。洗ったオムツを干せるようにと、当主は二脚の椅子に紐をくくりつけ、暖炉の前にそれを置いてくれた。台所も食材も自由に使うことが許され、私たちは明日からの道中で子供たちが食べられるよう、パンケーキを焼いた。夕食には肉入りのクリームスープとパンまでご馳走になり、小躍りしたくなるほど幸福だった。

しかし、当主はひどく意気消沈していた。ソ連軍には家畜を絶対に渡したくないという理由から、明日、出発前に100頭近い乳牛を射殺するのだと言う。骨董品溢れる屋敷も土地も家畜もすべてを失うこの資産家の喪失感は、私には想像できなかった。

「でもまた戻って来れるかもしれませんし。」

私は慰めようと試みたが、

「ご婦人、それはありえませんな。すべてロシア人に没収されるんだ。奴らは復讐心に燃えているからね。まあそれだけのことをドイツ軍がしたってことだ。とにかく命だけでも助かりたければ逃げ切ることだね。そうでなければ殺されるか、強姦されるか、シベリアに送られて、そこで死ぬかだ。」

と、当主は肩をすくめて諦めきっていた。

当主は私たちを厩舎に案内し、子供たちは初めて見る大きな牛に大はしゃぎであった。牛たちは自らに降りかかる運命など知る由もなく、のどかな顔をこちらに向けている。当主は子供たちの幸せそうな様子に目を細めていたが、瞳の奥は悲しみに満ちていた。

夜、久し振りにラジオを聴いた。当時のスターであったバリトン歌手ハインリヒ・シュルスヌスが歌うワグナーの『夕星の歌』が流れてきた。

 

死の夕闇がこの地を覆い

暗黒の谷が広がっていく

高みへと憧れる私の魂は

闇の恐怖におののいている

おお、愛する星よ 

しかしおまえはそこにいる

遥か彼方で優しく輝き

暗黒の道を照らしてくれる


聴く者すべての心の琴線に触れたのだろう、涙を流している者もいた。

私はこの曲を聴いている間、戦死した弟ハンスとその恋人ヘレナのことを想っていた。と言うのも、歌手ハインリヒ・シュルスヌスはエルビングのコンサートホールでシューマンの「詩人の恋」を歌ったことがあり、そのときはヘレナがピアノ伴奏で出演していたからだ。シュルスヌスは詩人の満たされぬ切ない恋心を叙情的すぎるとも言えるほどロマンティックに歌い上げていたのに対して、ヘレナは悟りの境地にいるような、どこか私たちの世界を超越したような音楽の中にいる印象だったのを覚えている。あの時、ヘレナとハンスはもう恋愛関係だったのかしら?などとぼんやりと考えていた。

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 上:ハインリヒ・シュルスヌスは戦前、メンデルスゾーンやマーラーのようなユダヤ人作曲家の楽曲を歌い、ヘレナのようなユダヤ人演奏家たちと共演していたにもかかわらず、ヒトラーのお気に入りで、政府のイベントに招待されてはその美声を褒めそやされていた。

 

シュルスヌスの甘い声に聞き惚れていると、突然ラジオからけたたましいファンファーレが鳴り響き、束の間の夢はすぐに破られた。当時、ロシアン・ファンファーレと呼ばれた、いまいましいフランツ・リストの『プレリュード』だ。いや、リストには何の罪もない。ドイツ軍がロシアに侵攻して以来、臨時ニュースの前にこの勇ましいファンファーレが流れ、ドイツ軍の「輝かしい快進撃」を伝えるのが常であった。

「果敢に闘うドイツ軍よ、ソ連軍の進軍は遅々として進まず、行く手を阻み続けている。愚かなロシア人め、我々は逃げも隠れもしない!誇り高いドイツ帝国は絶対に降伏などしないのだ!」

アナウンサーの自己陶酔気味な口調に、当主は突然怒りをあらわにした。

「糞ナチスが全国民に死ねと言ってるよ!降伏を一日伸ばせば何千人の死者が出るかなんて、糞ヒトラーにはどうでもいいんだろう。孫たちは戦後の歴史の授業で死者の統計数を見て仰天するだろうね。」

政府やヒトラーを悪く言っても、もはや非難する者は誰もいなかった。ニュースも噂話もプロパガンダも信じられない、と言うよりも思考する気力さえなくなっていた。国の名誉や誇りより、今日はどこでパンにありつけるか、今夜どこで眠れるのかといったことの方が重大な問題だった。

その晩は久しぶりにぐっすりと眠り、夜明けとともに起き、焼きたてのパンと温かいミルクをご馳走になった。

さあ、出発だ!深夜に雪が30cmほど積もったので、馬車を置いてある馬小屋までは乳母車を押しながら歩いて20分ほどかかるだろう。子供たちにオーバーを着せようとすると、声を上げて泣き出した。4歳のフランツがしゃくり上げながら聞く。

「こんなに素敵な場所なのに、なぜ行かなくちゃいけないの?あったかいし、スープもあるし、牛だっているのに。」

ああ、本当にここにずっといられたら!それほどこの屋敷で私たちは心も身体もすっかり癒されたのだった。当主に心からの礼を言い、お互いの無事を祈り、屋敷を出ようとしたその時だ。

「ヒルデ、私はここに残ろうと思うの。」

義母の言葉に私とヴァリーは呆然とした。

「お義母さん、何を言ってるんですか?ロシア人たちがこっちに向かってるんですよ。あの男の子の話を忘れちゃったんですか?」

「でもね、ロシア人も年寄りにはそんなひどいことしないと思うのよ。それに外で凍死するほうがよっぽど辛いわ。」

「死にませんよ。さあ、行きましょう。」

「ああヒルデ、私はやっぱりここにいたいのよ。どうせ死ぬならここがいいの。」

ふつふつと怒りが湧いてきた。許されるのであれば、紐で義母の体をグルグル巻きにして、雪道を引きずって行きたかった。しかし義母は体重80kgもあるのだ。

「お義母さん、フーゴがマグデブルグで待ってますよ。お義母さんを置いて来たなんて言ったら、私がフーゴに叱られます。さあ、行きましょう。」

愛する息子の名前を出され、義母はしぶしぶコートを着た。

乳母車の一番下には赤ん坊の衣類とオムツ、その上にはギザと2歳のアニタが乗っている。食料品と着替えの詰まった大きなリュックサックが肩に食い込み、片手には同じく食料品の詰まった大きなカバンを持っている。たった徒歩20分の距離にも関わらず、雪道を片手で乳母車を押して歩くのは、至難の業であった。ヴァリーも大きなリュックサックを背負い、片手に毛布の入った大きなカバンを持ち、もう片方の手でフランツの手を引いている。フランツまでが、おもちゃとお気に入りの小さな毛布の入ったリュックサックを背負わなければならなかった。義母は毛皮のコートが痛むからとリュックサックを背負うことを拒否し、ハンドバックと固くて重いスーツケースを持っていた。

「ヒルデ、ヒルデ、私はもう無理よ。重くて手がちぎれそう。」

泣き叫ぶ義母の声に、「そんな太い手、ちぎれるもんですか。」と聞こえないよう小声で悪態をついたが、すぐ後ろにいたヴァリーには聞こえてしまい、ゲラゲラ笑いだした。私も吹き出して、二人で笑いながら馬小屋に向かってひたすら歩き続けた。祖父のことで元気をなくしていたヴァリーが明るく笑っているのを見て、私は少し安堵した。

やっと馬車までたどり着き、幌の中に乗客全員が収まった時、零下25度にも関わらず私もヴァリーも額に汗をかいていることに気が付いた。汗が凍らないよう、慌ててハンカチで拭いた。

馬車に揺られて何時間経っただろうか、御者が馬車を居酒屋に横付けし、「営業中だ!」と叫んだ。たくさんの客がガラス越しに見え、私たちは歓声を上げた。老夫婦は馬車に残っていると言うので、乳母車で眠っているギザを頼み、その他の客は食料の調達だけしようと店内に入っていった。

古い居酒屋の店主は年老いた白髪のドイツ女性で、薪ストーブの横で足を組んで座り、タバコをプカプカふかしながら難民たちと話しこんでいた。

「私は逃げないよ。ここで死ぬんだ。今さら本土に逃げたって、どうせもう長くはないしね。」

言っていることは義母と全く同じなのに、この店主には何とも言えない毅然とした迫力があり、しばらく見とれてしまった。

店の奥は居酒屋ホールになっており、昼間だというのに乱痴気騒ぎが聞こえてきた。興味をかきたてられて覗きに行ってみると、3人のドイツ兵と3人の若い難民の女が昼間からビールを飲んで騒いでいた。前線にいるはずの若い兵士たちが、なぜここに?するとその中の女のひとりが、呆れて立ちすくんでいる私を指差して、けたたましく笑いだした。一斉に若者たちが私に注視すると、同じように大声で笑いだした。私はハッとした。路上でのあまりの寒さに、アニタの毛糸のパンツを頭に被っていることをすっかり忘れていたのだ。馬車の中では誰もそんなことは気にしない。皆、とにかく冷気から身を守ろうと手当たり次第に頭に何かを被っていたのだ。私は慌ててパンツを頭から剥ぎ取ると、逆上した。いや、今なら一緒に笑っただろう。しかしこの頃は疲労困憊している上に栄養不足と空腹で、怒りの導火線が常にチリチリと火を放っていたような気がする。後にも先にも、この時ほど激高したことはない。

「何がおかしいの!何を笑っているの!幼い子供を抱えて、敵軍から逃げている母親がそんなにおかしいの?外では大荷物を抱えて歩いている年寄りもいるのよ!赤ん坊の死体だって見たでしょ?皆、ロシア人の殺戮や強姦から逃げようと必死なのがわからないの?あなたたちは兵士でしょ?ここで何してるの?昼間から酔っ払って、前線で死んでいった同胞に恥ずかしくないの?」

ホール内にしじまが広がった。兵士たちは下を向いて動かない。

怒りに震えながら食堂に戻り、食料品を注文した。調理してもらっている間、ストーブで暖を取っていると、先ほどホールにいた女たちの中でも特に美しい女が私のところにやってきた。

「先ほどは失礼しました。あなたのお怒りはごもっともです。お詫び申し上げます。」

行儀よく謝罪する姿を見て、この心優しい女性がなぜあの一団の中にいるのか興味を覚え、しばらくの間話し込んだ。この女性はエルビングの有名なカメラマンの娘で、従姉妹達と逃げていること、いざという時のためにリボルバー(回転式拳銃)を携帯していることを話してくれた。私もいざという時のために、肉切り包丁を持っていると言って二人で笑った。

久し振りの談笑に私のアドレナリンも落ち着いたようで、笑顔で馬車に戻っていった。しかしそこには泣き喚くギザを持て余している老夫婦が待っており、やっと戻ってきた私のことを、母親失格だの人でなしだのと散々罵り、怒りをぶつけてきた。私も売り言葉に買い言葉で、ちょっと話し込んだくらいで罵詈雑言をぶつけてくる了見の狭さを責めた。

やれやれ、怒りの導火線に点火したりされたりしながら、私たちの難民生活はまだまだ続くのだった。