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月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

ドイツのヒルデおばあちゃんの思い出話を綴っています。

エルビングでの幼少時代

私の名はヒルデ。正しくはヒルデガルト・シュライバー。

1910年、シャクナゲの花が満開の頃、東プロイセンの港町エルビングで生まれた。

エルビング。なんと懐かしい響きだろう。潮の香り、豊かな緑、瀟洒な町並み、市場のざわめき、教会の鐘の音、懐かしい人々の笑い声。

現在はポーランド領になっているエルブロンクは、第二次世界大戦が終わるまではドイツ領東プロイセンの一都市エルビングであり、バルト海沿岸に位置するそれは美しい街だった。

旧市街にはゴシック、バロック、ルネッサンス様式の建築物が多く残り、人々はこの町の歴史を愛し、大切にしていた。

人口は8万人にも満たない小さな町であったが、造船、蒸気機関車の製造、機械工業が全国的に知られる主な産業であり、その他にも製本、繊維、葉巻、オルガン製造、ビール醸造、酪農などで町は豊かだった。

 

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毎週木曜日、港では魚市場が開かれ、幼い私は母に連れられて魚を買いに行くのが楽しみだった。母はそこで会う友人たちとのおしゃべりを楽しみにしており、コルセットをキュッキュッと締めてお気に入りのドレスを身にまとい、私を連れていそいそと出かけるのだった。

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幼い私はチョコチョコと母の後をついて歩き、お手伝いもよくしていた。

ある日、市場で買ってきたバターを「地下室の貯蔵庫に置いてきてちょうだい。」と母に頼まれた4歳の私は、喜び勇んで地下室にバターを持っていった。地下室は一年中ひんやりと涼しく、食料の保管にもってこいだったのだ。私はバターを鍋の上にそっと置いた。さっき母が作ったばかりの熱いスープ鍋の蓋の上に。夕食の頃に取りに行ったバターは当然ドロドロに溶けていて、私はオイオイ泣いてしまった。きっと叱られるだろう。当時バターが高価なのは子供でも知っていた。なかなか戻ってこない私を母が心配して地下室に見に来ると、私が溶けたバターを泣きながら小さな手ですくっている。母は何も言わずにドロドロの私をギュッと抱きしめた。優しい母だった。

 

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これは二十歳の私。子供の頃の写真がないのは、ソ連軍から逃げる時にすべて置いてきてしまったからだ。かろうじて残ったこれらの写真は、ドイツ内地に住む親戚に送っていたため難を逃れた。

ご覧のとおり、お世辞にも美人とは言えない。丸い顔に大きな鼻、この頃からひどい近眼で、普段は分厚いメガネをかけていた。

私の旧姓はブランデンブルグという貴族的な名前だったため(実際にはどれだけさかのぼっても貴族は見当たらないのだが)、小学校に上がった時、他のクラスの先生が「ヒルデガルド・ブランデンブルグってどの子?」と私のクラスの担任教師に尋ねてきた。一体どんな綺麗なプリンセスなのか、ワクワクしながら見に来たのだろう。あの子よ、と指をさした先の私を見た時の、その先生のがっかりした顔を90年経った今でも覚えている。全く貴族的とは言えないずんぐりむっくりの冴えない私に期待を裏切られたに違いない。私は傷つき、申し訳ないような気がして下を向いた。

容姿はともかく、私は幸せだった。小さな印刷工場を営む父はいわゆるプロイセン気質の厳しい人だったが、真面目なプロテスタント信者で、人々からの信頼も厚かった。物静かで読書好きの兄、しっかりものの優しい姉、陽気でいつも周りを笑わせている弟。兄弟仲はとても良く、しょっちゅう友達を交えて泳ぎに行ったり、ギターを持ってピクニックをしたりして楽しんだものだ。

懐かしいエルビングを思うと胸が痛む。平和で幸せだったあの町は消え、愛しい人々も、もう誰もこの世にはいない。