月は昇りぬ  Der Mond ist aufgegangen

1910年生まれのヒルデおばあちゃんは、ドイツ激動の時代を生き抜いた人です。戦前から終戦直後までの、彼女の思い出話を綴っています。

ブルーノおじさん

 1914年8月、今日は待ちに待った木曜日、魚市場の日だ。母がいそいそと着替え始めるのを、4歳の私はわくわくしながら眺めている。コルセットの紐をキュッキュッと締め上げると、たちまち母のウェストは美しい流線形を生み出し、心地良い衣擦れの音をたてながら裾まで長い紺色のドレスを着る。なんて美しいのだろう!母は紺色のリボンの付いた洒落た麦わら帽子を頭にのせると細長いピンで留め、ほれぼれと見つめている私に微笑みかける。

「さあ、行くわよ、ヒルデ」

 姉のお古のブルーのワンピースを着た私は、赤ん坊の弟ハンスを抱いた母と共に家を出る。出口に置いてある乳母車にハンスをそっと寝かすと、私たちは並んでミューレン通りの石畳を歩き始める。素晴らしいお天気だ!通りの両側のアパートのほとんどの窓からはドイツ帝国の黒・白・赤の三色旗が垂らされている。向こうの方に見えている13世紀建造のニコライ教会の尖塔が間近になれば、もうすぐエルビング旧市街の魚市場だ。

 

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当時のエルビングの町。

 

 東プロイセンのエルビング市は人口6万人足らずの小さな町だけれど、旧市街にはハンザ都市として栄えた頃の優雅な名残がある。木材輸送船の行き来するエルビング川を北に10㎞ものぼれば、松林と白い砂浜に取り囲まれた潟に出て、その向こうにはバルト海が広がっている。エルビングには造船と蒸気機関車の製造で有名なシハウ社があり、他にもたばこ、ビール、蒸留酒、チョコレート、自動車部品などの産業で急速に発達してきた。7つのプロテスタント教会、ひとつのカトリック教会、どちらにも属さない自由教会とシナゴーグ(ユダヤ教会)が、毎朝毎晩、一斉に鐘を鳴らし、あまりのけたたましさに道行く人をしかめっ面にさせる。

 私たちの家は旧市街からさほど離れていないはずなのに、家を出てからなかなか旧市街に入れずにいるのは、母がしょっちゅう立ち止まっては行き交う人と世間話を始めてしまうからだ。エルビングの人は真面目で働き者の倹約家だが、おしゃべりが大好きなのが玉に瑕、早く市場に行きたい私はイライラしながら大人たちを恨めしそうに見上げる。

 ドイツがロシアとフランスに宣戦布告をしてからというもの、大人も子供も戦争、戦争とお祭り騒ぎだ。「電光石火の早業で陥落させる」とか「快進撃」とか、大人は難しい言葉ばかり使って笑っている。

 近所に住むラウダ夫人とばったり会った時には、心の中で「しまった!」と叫んだ。遭遇したら最後、そう簡単には放してくれないからだ。夫人は教会婦人会の会長で大変なおしゃべり、母を見つけると満面の笑みで近付いてきて、早速出征した息子の話を始める。母はうんうんと殊勝に頷きながら、感心した振りをして聞いている。

「もちろん出征しろと主人が言ったのよ。まずは国のために尽くして、それから医学部の勉強は戻ってから続ければいいじゃないかって。ほんの数ヶ月ですもの、すぐに取り戻せるわ。息子は勉強が大好きなのよ。それに軍隊では医学部の学生は特別待遇を受けられるそうでね、試験のたびに休暇がもらえるんですって」

長い長い自慢話がやっと終わり、ラウダ夫人と別れて再び魚市場に向かって歩き出すと、母は「やれやれ、同じ話をもう三度も聞いたわ」と囁いた。次第に風に乗って潮と魚の匂いが漂ってくれば、魚市場はすぐそこだ。運河沿いにはルネッサンス様式のギーベル壁の家々が連なり、すべての屋根や窓に瀟洒な装飾がほどこしてある。ここでも帝国国旗があちこちに飾られて、まるで祝勝パレードでも始まるかのように華やかだ。運河にかかる跳ね橋の前で船が通り過ぎるのを待つ人々の表情も、いつもより明るいような気がする。

「奥さん、活きのいいタラが入ったよ!バター焼きにすると最高だよ!」

「ニシンを安くしとくよ!開戦記念だ!お買い得だよ!」

燻製か酢漬け以外の魚は夏場はすぐに傷んでしまうから、エビルング市民にとって木曜日は魚料理を食べられる贅沢な日なのだ。市場には魚だけではなく、東プロイセン中から農家がやってきて、野菜、果物、チーズ、肉、ソーセージ、その他さまざまな食品、生活必需品が並んでいる。特にお菓子売り場は最高に素敵な場所だ!チョコレート、色とりどりのボンボン(キャンディ)、ラクリッツェ(甘草飴)、キャラメル、リンゴ飴!母はここで必ず私にアイスを買ってくれるのだ。天国とはこんなところかしら?教会の日曜学校では、天国は宝石のような輝きに満ち、花が咲き乱れる美しい場所だと教わったけれど。

 

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当時のエルビングの魚市場。

 

 買い物を済ませて帰路につくと、道の向こうから大好きなミンナおばさんがこちらに向かって歩いているのを見つけ、私は走り寄っておばさんに抱き着いた。おばさんが鈴のような笑い声をあげて私を抱き締めると、まるで羽毛布団にくるまっているような心地良さだ。隣の家に住むミンナおばさんは親戚ではないけれど、子供がいないので、私たちを自分の子供のように可愛がってくれていた。私たちはタンテ・ミンナ(ミンナおばさん)と呼んで、しょっちゅうおばさんの家に遊びに行っていた。

「ヒルデ、麦わら帽子がよく似合うわね。なんて可愛いんでしょう!」

たった4歳の幼児であっても、自分の容姿がさして可愛らしいわけではないことは、近所の人たちや教会の信者たちの反応で重々承知していた。皆、5歳上の姉ロッテの明るい金髪と透き通るような青い目と繊細な顔立ちを褒めるけれど、私の容姿には全く触れないからだ。でも、ミンナおばさんだけは私のことを可愛いと言って、会うたびに必ず手に提げているハンドバッグを開き、お菓子をくれる。この日も素敵な忘れな草模様のゴブラン織りバッグから、ボンボンをひとつ取り出した。

「ミンナおばさん、ありがとう!」

包み紙から取り出したミルク味のキャンディを口の中に放り込み、膨らんだ私のほっぺたをおばさんは愛おしそうに撫でると、おばさんのほっぺたに大きなえくぼが浮かんだ。

「ブルーノの写真が出来上がったのよ。見る?」

ブルーノとはミンナおばさんの夫のことで、シハウ造船所の技師をしているが、開戦してすぐに入隊を志願、先週、出征したばかりだ。ミンナおばさんはハンドバッグから一枚の写真を取り出すと、母と私は覗き込んだ。写真にはピッケルハウベ(頭頂部に金属製の突起が付いた革製の兵隊用の帽子)を被った軍服姿の男が大真面目な顔で気取ったポーズを取っている。

「あら、素敵じゃないの!立派だわ!」

母は感心して写真に見入っている。

「なんだか違う人みたいでしょう?」

「ブルーノはもともと美男子ですもの、軍服がよく似合うわ」

ブルーノおじさんはヒョロリと背が高く、栗色の髪をいつもきちんと撫で付け、手入れされた口髭を持つ粋な男だが、いつも冗談を言っては周囲を笑わせる人気者だ。私の姉も兄もお行儀のよい物静かな性格なのに、私は生来落ち着きのないお転婆で、おじさんのお気に入りだった。私を「ネズミちゃん」と呼んで可愛がり、足を掴んでグルグル回転したり、私の小さな身体を宙に放り投げて受け止めたりといった荒っぽいことをされるのも大好きだったし、釣り、乗馬、海水浴などに連れて行ってくれるのも最高に楽しいのだった。

 特に移動遊園地が来ると、私たちは「ルーカス叩き」という遊技機のところにすっ飛んで行き、長い列に並ぶ。それは8㎏のハンマーで足元の杭を思い切り叩くと、おもりが勢いよく飛び上がって高さ7mのタワーを昇って行くという遊技具で、頂点に達すると鐘がガランガランと鳴って注目の的となる遊園地の呼び物だ。まず私がハンマーを受け取り、ヨロヨロと振り落とすとおもりは一番下のラインにも届かずに終わり、私の口は屈辱に歪む。次にいよいよおじさんの番だ。片手で握ったハンマーを天高く振り上げると、そのまま脱力したかのようにスコンと杭に振り落とす。同時におもりは頂点まで勢いよく跳ね上がり、鐘がガランガランとけたたましく鳴り出すと、人々は歓声をあげ、拍手が起こる。筋骨隆々な男たちでも難しいのに、筋肉のほとんどないヒョロリとしたおじさんの、いったいどこにそんな力があるのだろう?先ほどの屈辱感はどこへやら、私は誇らしげにブルーノおじさんを見上げ、おじさんも私を見降ろしてにっこり笑う。列から離れると、おじさんは秘密の技を私に指南する。

「いいかい?ネズミちゃん。ハンマーの柄の出来るだけ端を握って長く持ち、なるべく高い位置から一気に振り下ろすんだ。そのときに気を付けなくちゃいけないのは、杭に対して垂直であることだ。そうでないと、高さ、ハンマーの重さ、加速度を利用したエネルギーが無駄に分散してしまうからね。大切なのは物理を駆使する頭脳と集中力さ。筋肉ばかりの頭が空っぽな奴らには、ここを使って勝つんだよ」

ブルーノおじさんそう言って、私の頭をつつく。何を言っているのか、さっぱりわからないけれど、私を子ども扱いせずに大人に対するみたいに説明してくれるのが嬉しい。要するに頭を使え、と言いたいのだろう。ルーカス叩きのあと、私は必ずリンゴ飴を買ってもらい、次の遊具をふたりで探しに行くのだ。

 やがてブルーノおじさんの出征の時がきて、私も家族と一緒に駅まで見送りに行った。プラットホームは見送り客でいっぱいで、汽車の窓から顔を出す兵士たちは皆、手に花を持ち、満面の笑みで身を乗り出して恋人や家族にキスをしている。ブルーノおじさんも涙ぐんでいるミンナおばさんにキスをすると、チョークで「神は我らと共に!」と書かれた車両はガタガタと動き始めた。おじさんは私を見てにっこり笑い、

「クリスマスマーケットではルーカス叩きを成功させような、ネズミちゃん!」

と叫んで、自分の頭をつついて見せた。力ではなく頭を使えと言う、あれは私たち二人だけが知るサインだ。やがて汽車は小さくなり、東方のロシア国境方面へと消えて行った(※ 当時、ポーランドはドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国によって分割占領されていたため、東プロイセンはロシア帝国と隣り合っていた)。それでも駅構内には悲愴感はまるでなく、皆、ガヤガヤと笑いながら家路についた。 ほんの二、三カ月会えないだけさ。戻ってきたら祝勝パレードが待っている!


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上:ドイツ最後の皇帝、ヴィルヘルム二世(1859 - 1941年)。ビスマルク宰相を辞職させてからは社会主義者鎮圧法を廃止し、労働者を保護するなど民主的な社会政策を進めていたが、次第に帝国主義に傾倒し、軍事力を増強してフランス、ロシア、イギリスとの対立を深めていった。当時のヨーロッパはロシア、フランス、イギリスが連合国軍として、ドイツはオーストリア=ハンガリー帝国、オスマントルコと同盟国軍として手を組んでいた。スラブ系諸国の民族主義はびこるバルカン半島は「欧州の火薬庫」と呼ばれていたが、1914年、皇太子が占領国ボスニアのサラエボで、セルビア人民族主義者に暗殺されたことが大戦の火種となった。この過激派はボスニアをオーストリア支配から独立させ、セルビアや他のスラヴ諸国と統合させたかったのだ。怒ったオーストリアがセルビアに宣戦布告すると、バルカン半島に領土的な野心を持つロシアが機会を逃すまじとセルビア支援という名目で参戦した。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世はイギリスやフランスのように広大な植民地獲得の機会であると判断、オーストリア支援という大義名分を得て参戦した。こうして次々と同盟国が加わって、世界戦争へと突入していった。

 

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上:第一次世界大戦の開戦直後、志願兵となって意気揚々と町を行進する若者たち。志願したギムナジウム生徒は自動的にアビトゥーア(大学入学資格試験)合格とみなした州もあったため、競うように入隊していった。この戦争は「正義の防衛戦」であり、短期決戦でドイツ帝国は勝利するという政府プロパガンダを誰もが信じていたため、出征を悲観する者は少数派だった。100年前のナポレオン戦争以来、大きな戦争もなく平和だったこともあり、戦争の記憶も敵国フランスやロシア帝国に対する憎悪も希薄だった。多くの知識人がドイツ帝国への忠誠心、愛国心を呼び覚ます記事を寄稿し、息子に出征志願を促す親も多かった。しかし、都会では盛り上がりを見せる一方で、農村では8月開戦は収穫時の人手不足を意味していたため、困惑していたという。開戦時ですでに200万人の男たちが召集され、西部はフランスに向かう途中のベルギー、東部はロシア国境に送られた。

 

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出兵する父を駅に見送りに行く息子も、あつらえた軍服を着て誇らしく歩く。通り過ぎる人も祝福し、駅はまさにお祭り騒ぎだった。当時はまだこれが人類初の世界戦争となることは予想だにしていなかった。大戦前までのドイツ帝国はアメリカに次ぐ工業大国であり、人々は豊かで平和な暮らしを満喫していた。

 

 あの中央駅での別れから一週間が経過し、ミンナおばさんは戦争が終わるまでひとりぼっちでブルーノおじさんを待っている。私達に見せてくれたブルーノおじさんの写真を大事そうに忘れな草のバッグにしまうと、再びえくぼを浮かべた。

「ロシアは田舎で鉄道も発達してないから、ロシア軍が集まるのは二ヶ月以上先だろうって。その頃にはフランスも降伏してるでしょうから、ドイツ帝国軍は東部戦線に集中できてロシアもすぐに降参するそうよ。クリスマスまでには戦争は終わるってみんな言ってるわ」

ミンナおばさんまで戦争の話だ!こんなに皆が嬉しそうに話すのなら、戦争というのはよほど楽しいものに違いない。私たちの脇を、おもちゃの銃をかついだ幼い男の子たちが歓声をあげて駆け抜けていく。 

 ニコライ教会の横で、私と同年代の女の子を連れた貴婦人とすれ違った。東プロイセンにも貴族がいて、ここエルビングでも伯爵夫人や男爵夫人は大きなつばの帽子を被り、レースのタイトドレスに身を包み、レースのパラソルを持って散歩をしたり、日曜礼拝に参列したりしていた。なんて綺麗なワンピースかしら!女の子の襟元と袖にフリルのついた白いワンピースに溜息をつき、私は振り向いてその子を見つめた。あんな白いワンピースなんて私たちが着ていたら、半日もしないうちに泥だらけになるだろう。

 この「美しい人々」は東プロイセンの中世から続く城館や屋敷に生息し、フロックコートを着た執事、小さなエプロンを付けたメイド、コック、庭師、乳母、馬丁などの住み込みの使用人たちにかしずかれている。貴族の子供たちが庶民の子供と遊ぶことを禁じられていたのは、私たち「Straßenkinder (ストリートチルドレンのドイツ語)」に下卑た知識を植え付けられることを親が恐れていたからだ。やんごとなき身分の女の子は大抵白いワンピース、男の子は水兵風のセーラーカラーの付いた服を着ていた。夏になると高貴な人々を見かけなくなるのは、大抵、避暑地の別荘で過ごしているか、外国を旅行しているからだ。バカンスに国外に出るのは富裕層の限られた人々だけで、庶民には夢のまた夢だ。

 帰宅すると、母は市場で買ってきたバターを私に手渡し、

「地下室に置いてきてちょうだい」

と言い付けたので、私は飛び跳ねながら地下室に駆け下りて行った。地下室は一年中ひんやりと涼しかったので、食料の保存にはもってこいだ。私は紙に包まれたバターを、さっき母が作ったばかりの、まだ温かいスープ鍋の蓋の上にそっと置いた。

 夕方になって、母がバターを取ってきてと私に言う。ヒラメのムニエルをバターで焼くのだ!喜び勇んで地下室を駆け下りて行くと、そこで私の四年間の人生で最も衝撃的な場面に遭遇する。バターが鍋の蓋の上で、ドロドロに溶けているではないか!当時バターが高価なことは、幼い私でも知っていた。なかなか私が戻って来ないことを心配した母が地下室に降りて行くと、絶望に打ちひしがれた幼児が、オイオイ泣きながら溶けたバターを小さな手ですくっている。母は何も言わずにバターでベタベタな私を抱きしめた。

「ヒルデ、気にしなくていいわ。なんて美味しそうな匂いでしょう」

母は笑ってほっぺたにキスをした。ああ、母さんが大好きだ。 

 

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 マリエンブルグ城を眺める母。信仰深く、常に子供達に心を砕き、ユーモア溢れる言葉で私達を励ましてくれた。

 

 東プロイセンの男たちは皆、働き者だ。父も他の男たちと同様、日曜日以外は一日10時間働き、夕方6時15分ぴったりに帰宅すると丁寧に手を洗い、すぐに家族全員そろっての食前の祈りを唱え始める。私たちは目を閉じて組んだ手を食卓に置き、父のバリトンの朗誦を聞く。なかなかありつけないヒラメのムニエルの香りがうらめしい。

 

 天の父なる神よ

 あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます 

 ここに用意されたものを祝福し

 私たち心と体を支える糧としてください

 戦地にいる若者たちをお守りください

 わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります

 アーメン

 

 父がナイフとフォークを握ると、私たちもやっと食事を許される。祈りと規律は私たちプロイセン人の生活の基本であり、家長の父を尊敬するのは当然のことだ。食事中は父が子供たちに質問し、子供たちがそれに答える。幼い私でさえも食器の音をカチャカチャさせたり、口に食べ物を入れたまま話したり、スープを啜ったりすることは許されない。

 この町で生まれ育った父は、典型的なプロイセン気質、几帳面で生真面目、厳格な男だ。私たちが父に畏敬の念と愛情を抱いているのは、性根は温かい人柄だと知っているからだ。従業員20人ほどのアルミ製ミルク缶を製造する工場を経営し、町の名士と言うほどではないが、人望があるので、近所の寄り合いでは常に中核的存在だ。大変な読書家なので物知りで教養があり、芸術にも造詣が深い。「芸術こそが人間を向上させる」という信念のもと、父は幼い私たちを劇場やオペラハウスに連れて行くことを好んだ(私はしょっちゅう眠りこけてしまったが)。エルビングにはゴシック建築の美しいオペラハウス、劇場、美術館などがあり、文化的な催し物には事欠かないのだ。そして、姉と私は幼い頃からピアノ、兄と弟はバイオリンの個人レッスンを受けることも許されていた。母はそんな真面目な夫にかいがいしく尽くし、夫を立てながらも上手に操っている仲の良い夫婦だった。

 

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 私の父。典型的なプロイセンのプロテスタント気質だった。

 

 あれほどお祭り騒ぎに沸いていた大人たちが、開戦から数週間で不安な顔を見せ始めた。ロシア軍は二ヶ月どころかたった二週間で兵を集め、東プロイセンを侵攻し始めたのだ。国境付近の町や村は破壊され、火を放たれ、エルビングの町にも多くの難民がやってきた。魚市場の開かれる運河沿いも市役所前の広場も、荷物でいっぱいの馬車が並び、暗い顔をした難民の女たちが簡易コンロで料理をしている。あれほど愛国心に陶酔していたエルビング市民も、ロシア軍の略奪と強姦の噂に不安を隠せない。幼い私はそんなことなど露とも知らず、魚市場がいつまた開かれるのか、それだけが気になった。

「母さん、いつになったら魚市場がまた始まるの?」

「ヒルデ、今はそれどころではないのよ。戦争で逃げてきた気の毒な方たちのための場所なの」

5つ年上のロッテが不安そうに尋ねる。

「私たちもここから逃げなくちゃいけないの?」

「いいえ、エルビングは国境から離れているから大丈夫よ。もうすぐドイツ帝国軍がロシア軍を追い払ってくれるわ」

「ブルーノおじさんもそこにいるの?」

「そうよ。おじさんも東プロイセンを守ってくれるわ」

母は家政婦のエッダ婆さんに赤ん坊のハンスと家のことを頼むと、教会婦人会の主催する難民救済奉仕にいそいそと出かけて行った。家々を回って古着を調達したり、難民宿泊施設に行って足りない物を工面したり、食事の準備を手伝ったりするのだ。

 

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 1914年、東プロイセン国境付近からエルビングに逃げてきた難民たち。

 

 やがて東プロイセンのタンネンベルグでドイツ軍はロシア軍の一部を包囲、撤退させたけれど、国境にある町や村は瓦礫と化し、故郷に戻るに戻れない難民も多かった。次第にエルビングの人々は、彼らを厄介者扱いするようになる。

「いつまでここに居座る気だ?」

「まさか居つく気じゃないだろうな?」

そんな声を聞くたび、母は眉間に皺を寄せて憤慨していた。

「なんてことでしょう。困っている人に手を差し伸べるのが、私たちキリスト教徒のすべきことでしょう」

 教会の日曜学校でも、先生が言っていた。

「いいですか?皆さん。聖書には、『弱いものに思いやりのある人は幸いです。災いのふりかかるとき、主はその人を逃れさせてくださいます』とあります。困っている人を助けることはこそが神様が喜ばれることなのですよ。そうすれば、神様は私たちを災難から守ってくださいます」

それならば、神様はきっとブルーノおじさんをお守りくださるに違いない。だっておじさんはいつも優しくて、貧乏な人にご馳走するのが好きだったもの。

 

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ロシア帝国軍から逃れてエルビングに避難してきた人々。

 

 夏が過ぎ、秋が過ぎ、人々は雪の中をモミの木を抱えて家路へと急いでいるのに、ブルーノおじさんはいまだに戻らない。新聞紙上での戦死者告知欄のスペースが日毎に増えていき、ミンナおばさんは次第に元気をなくしていく。時折戦地から届く手紙だけが、ミンナおばさんの心を慰めた。

「ミンナ、君にこうして書いているこの時間だけが幸福なんだ。君と出会えたことが、人生の最高の喜びなんだ!ああ、戦争はまっぴらだ!」

 ロシア軍が戦闘準備に手間取っている間に、フランス軍を降伏させるはずではなかったのか?その後、西部戦線から東部戦線へと即座にドイツ軍を移動させて、ロシア軍をやっつけるはずではなかったのか?クリスマスになっても戦勝パレードは行われず、それどころかクリスマスマーケットも中止だ。移動遊園地がやって来ないのは、鉄製の遊技機が溶かされてして軍需品に生まれ変わっていたからだ。おじさんも私も大好きなルーカス叩きは溶かされて、今頃は大砲の弾に生まれ変わっているのだろうか?

 翌年3月、ミンナおばさんのもとにブルーノおじさんの戦死通知が届いた。マズーリ湖付近で「勇敢に」闘ってロシア兵に撃たれて死んだらしい。

 葬式の日は朝から吹雪いていた。馬車がガタガタと音を立てながら引く棺の中には、おじさんの遺体の代わりにお気に入りの服や本や靴などが入っているらしく、その棺の上にかけられたドイツ帝国の旗は、風で飛ばされそうになっている。葬送曲を演奏する音楽隊がその後ろを歩き、続いて牧師が、次に母に支えられたミンナおばさんが続く。皆の黒い服に粉雪が吹きつけて、どんどん白くなっていく。ミンナおばさんはずっと泣いていて、おばさんの肩を抱く母の目も真っ赤だ。列の一番後ろを姉と並んで歩く私は、あまりの寒さに鼻の中が凍りそうに痛むのをこらえていた。どうにも腑に落ちない私は、姉の耳元で囁いた。

「姉さん、ブルーノおじさんにはもう会えないの?」

「あたりまえでしょ?おじさんは死んだのよ」

姉は呆れたように私を横目で見て囁く。おじさんは戦地でも頭を使って易々と野蛮なロシア兵を追っ払ってくれるのではなかったの?人を助ける人は、神様に守られているのではなかったの?

 それから数週間後、今度は町を歩く葬式の列の先頭に、ラウダ夫妻がいるのを見かけた。医学部に行く自慢の息子に戦争に行くよう勧めたのは、父親のラウダ氏だと夫人は言っていた。ラウダ氏はどんな気持ちで青ざめたラウダ夫人を支えて歩いているのだろう?

「母さん、死んだら人はどこにいくの?」

就寝前の祈りを終えてベッドに入ると、私は母に聞いてみた。

「神様のもとへ行くのよ。『塵はもとあった地に帰り、魂はこれを下さった神のもとに帰る』と聖書にもあるでしょう?」

「どうしてブルーノおじさんは、お爺さんになるまで生きられなかったの?」

母は私のおでこにキスをして、優しく言った。

「それは私たちにはわからないわ。神様がお決めになるのよ」 

それじゃ、ブルーノおじさんやラウダ夫人の息子を戦争で死なせたのは神様なの?と母に聞こうとしたが、困らせるような気がしたので口をつぐんだ。

 1916年の秋、6歳になった私は町の国民学校(8年制の義務教育)に入学した。5歳上の姉と2歳上の兄が通うこの学校で、とうとう私も勉強ができるのだ!この日をどれだけ心待ちにしていたことだろう?晴れがましい気持ちで教室に入ると、まず目に入ったのは壁に掛けられた立派な髭の皇帝ヴィルヘルム二世の肖像画だ。正面には教壇と黒板、私たちが座る木製のベンチ、蓋つきの机、そしてそれぞれのベンチの横には結核予防用のホーロー製痰壺が置かれている。この教室に70人もの女の子たち(当時は男女別クラス)が押し込められているのは、男の先生たちが戦争に行って教師が不足しているからだ。

 やがて担任教師、エンゲル先生が教室に入ってきた。ほっそりと背の高い若く美しい女性で、栗色の髪をふんわりとポンパドールに結い上げている。当時としては珍しく、その髪は艶々と絹のように輝き、噂では新しく開発された洗髪石鹸をダンツィヒまで行って買い付けているらしい。滑らかな象牙の肌、輝くサファイアの瞳、リンゴ飴を食べた後みたいな赤い唇。なんて綺麗な先生だろう!

 まだ子供たちはエンゲル先生の恐ろしさを知らない。その美しい容姿とは裏腹に、エンゲル先生の情け容赦をしない厳しさは有名で、風変わりな子供を憎み、個性や創造性など毒でしかないと言わんばかりに、金切り声を上げては子供たちを震え上がらせた。

「背中はまっすぐ!口は閉じて!それでは両手を机の上に置いて、爪を見せなさい!」

エンゲル先生は手に柳の枝で作った鞭を持ち、大きなエメラルドの目をギラギラ光らせながら、子供たちの爪を見て回る。私は自分の爪の先が黒いことに気付いてギョッとした。昨夜、母と一緒にジャガイモの皮を剥いたあと、豚毛ブラシで爪を洗っていなかったのだ!どうか先生が気付かずに通り過ぎますように!しかし、先生は私の真横に来るとピタリと立ち止まり、片眉を上げて詰問した。

「なんですか!この汚い爪は?」

私の心臓はドクドクと音を立て、頭の血がサッと音を立てて下がって行くのを感じながら、消え入りそうな震える声で答えた。

「昨日、ジャガイモの皮を剥いたからです」

「そのあと洗う時間もなかったと言うのですか?」

先生は柳の鞭を振り上げると、私の手の甲をピシャリと打ち付けた。痛みと屈辱で私の両目から涙がハラハラと落ちて行く。これが私の夢にまで見た小学校の初日だった。エンゲルという皮肉な名前を持つ(エンゲルは天使の意)冷酷な教師が、今後8年間の担任となることを知り、私は生まれて初めて自分の運命を呪った。

 エンゲル先生はおしゃべりしている生徒、忘れ物をした生徒がいれば、ヒステリックに叱り飛ばし、柳の鞭は一日中パシパシと音を立てていた。もっと恐ろしいのは、宿題を忘れたり遅刻をした時に与えられる「薪の刑」だ。薪の上に正座をするのだが、その薪はご丁寧にも側面に角を作ってあるので、キリキリと向う脛に食い込んでくる。子供たちは10分間(実際は2時間に感じるのだが)、痛みと屈辱に歯を食いしばりながら耐え、やっと解放されても立ち上がることが出来ず、四つん這いになって自分の席に戻っていく。そして身体的な痛みより辛いのが「ロバの刑」だ。算数の授業などで指名されて間違った答えを言うと、黒板の前に立つよう命じられ、先生お手製のフェルト製のロバの耳が付いた帽子を被り(ロバは愚鈍の象徴)、「イーアー、イーアー」とロバのいななきを真似しなくてはならない。生徒たちの失笑の中、その子は授業が終わるまでロバのままだ。エンゲル先生はどれほどの喜びをもって、このフェルト製のロバ帽子を縫い上げたことだろう?

 教科は宗教、読み書き、歌唱、計算だが、男子クラスは将来のため、女子よりも教科が多かった。指物師や機械工になりたい男子には幾何、商人になりたい男子には数学、港湾で働きたい男子には英語、といった具合だ。私は英語を習いたかったけれど、女子の将来は主婦と決まってるから、その願いは叶わない。他にも男子生徒はスポーツの授業があるが、女子はスポーツの代わりに恐ろしく退屈な裁縫の授業を受けなくてはならない。女子は戦地に行かないから、運動は必要ないのだ。不器用な私はしょっちゅう針で指を刺しては悲鳴を上げ、そのたびにエンゲル先生は私の頭にロバの帽子を被せた。私は愚鈍なロバです。イーアー、イーアー!

 こうして幸せな幼少期は幕を閉じ、私は6歳にして人生の試練にどっぷりと浸かることになる。エンゲル先生のモットーは、従順、勤勉、秩序、清潔。それ以外に必要なものなどひとつもない。70人もの生徒を抱えながら、居眠りも私語も忘れ物も極端に少ない「奇跡の教室」をエンゲル先生は作り上げていた。中世では学校に行くことを「鞭に打たれに行く」と言ったらしいが、この学校も中世と変わりない。当時の学校教育法第50条53項に「教師による体罰は、生徒が教師の指示に従わず、反道徳的、挑発的態度をとった場合のみ、最終的手段として許容される」 とあるが、どうやらエンゲル先生にとっては遅刻や忘れ物や計算間違いも反道徳的行為に相当するらしい。 

  不運は常に連鎖して起こる。入学して数週間後、隣のクラスの教師が興味津々な顔でやってきて、エンゲル先生に尋ねた。

「ヒルデガルド・ブランデンブルグってどの子?」

私の姓はブランデンブルグという貴族的な名前なので(実際には家系図をどれだけさかのぼっても貴族は見当たらないのだが)、一体どんな綺麗なプリンセスなのか、確認したかったのだろう。あの子よ、とエンゲル先生が指をさした先にいるのは、ずんぐりむっくりの冴えない私だ。貴族的とは正反対の真ん丸な顔に真ん丸な鼻、太い首にむっちりとした手足の田舎っぽい女の子。期待を裏切られたに違いない、その教師は「おお・・・」と、あからさまに落胆の声を出した。私は傷つき、申し訳ないような罪悪感を覚えてうつむいた。小学校に入って数週間で6歳の自尊心はズタズタに引き裂かれた。愚鈍な上に、私は醜い。

 

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当時の小学校男子クラス。授業中、トイレに立つことは許されず、左利きの子供は強制的に右利きに修正された。成績優秀な生徒は最前列に座り、成績の悪い生徒は最後列の「ごろつき席」に座らされが、成績が向上すれば、座席を前の列に移動できた。留年した子供は、目立つように色付きの留年帽を被らなくてはならなかった。

 

 不運は学校だけに留まらなかった。飢餓だ。この大戦以前、ドイツは食糧の三分の一を外国からの輸入に頼る世界最大の農産物輸入国だったが、イギリス軍による海上封鎖によって、著しい食糧不足に見舞われたのだ。他にも農民が徴兵されたことによる労働力不足、農耕機器の部品と肥料不足、農作業と輸送に使われていた馬100万頭が軍隊に取りあげられたことなども起因した。特に主食であるじゃがいもと小麦の収穫は戦前の約半分にまで落ち込み、小麦粉にジャガイモの粉を30%も混ぜたパンの価格は高騰した。ソーセージは何の肉だかわからない、水分の多い恐ろしく不味い物体となり、とても食べられたものではない。食卓には豚の餌として栽培されていたコールラビ(カブに似た野菜)が登場するようになったため、「コールラビの冬」と呼ばれた。それでも食べられる物があるだけ幸せだ。

 私は隣のかわいそうなミンナおばさんを訪ねては、 一緒に散歩をしたり、お茶を飲んだりして過ごした。食料不足、心労、勤労奉仕の疲労から、おばさんのふっくらしていた頬はこけ、すっかり痩せてしまっていた。45歳以下の女は男たちに変わって様々な労働をせねばならず、母とおばさんは塹壕用のサンドバッグを縫い続けていた。

「忙しくしている方がいいわ。悲しんでいる時間がないの」

そう言って、おばさんは私の前では努めて明るく振舞っていた。

「ブルーノはヒルデをかわいがっていたわね。あの子は賢くて勇気のある子だって、いつも褒めていたわよ。かわいらしいし、頭もいいし、きっと素敵な女性になるねって」

学校は私を毎日打ちのめし続けたけれど、優しいミンナおばさんは時々こうして私を絶望の底から救い上げてくれるのだった。

 ある日、エンゲル先生に婚約者がいると姉のロッテから聞いて仰天した。

「とっても怖い先生なのよ。あの人を奥さんにしたい人なんているはずないわ」

「あら、本当よ。今は戦地で闘っているけど、無事に戻ったらすぐに結婚して、エンゲル先生は退職されるはずよ」

当時、女性教師には「結婚禁止法」なるものが存在し、常に女性教師はフロイライン(独身女性に対する呼びかけ。英語のMissにあたる)と呼ばれ、フラウ(既婚女性に対する呼びかけ。英語のMrs.にあたる)と呼ばれることはあり得なかった。結婚後は強制的に教職を解かれて家庭に入らなければならなかったのだが、残念ながら世界一恐ろしいエンゲル先生は独身だったのだ。その日から私の就寝前の「主の祈り」には、重要な一文が加わった。天のお父様、どうか、どうか、エンゲル先生の婚約者が、なるべく早く無事に戦争から戻りますように!

 しかし、戦争は全く終わる気配がない。ドイツ帝国の旗がかけられた棺を先頭にした葬式は毎日のように町で見かけたし、故郷に戻れない難民たちは物乞いをしているし、学校では父親を亡くして特別休暇をもらう生徒たちが増えていった。食料品店の前には憂鬱な顔をした人たちが、ビシャビシャの臭いソーセージ、パサパサのパン、食べ飽きたコールラビを求めて並んでいる。この持久戦に誰もが疲弊していた。海陸を封鎖されたために国民は常に空腹で、ドイツ国内だけで80万人が栄養失調で死んでいたのだ。そんな庶民の苦悩を皇帝ヴィルヘルム二世は知らないだろう。それよりも100万人の戦死者と数百万人の負傷兵という兵力喪失の方がずっと痛手だ。

 1917年、ロシアでは戦争に嫌気がさした100万人の兵士が脱走した。すでに150万人が戦死、500万人が負傷、250万人が捕虜となっていたのだ。食糧難に陥っている市民は蜂起して革命が勃発、ロマノフ王朝は崩壊した。これによってロシアは大戦から離脱、東部戦線は終結したが、西部戦線はいまだに続いている。ロシアにいたドイツ兵は直ちに列車で西に移動、ベルギーからスイス国境まで南北700㎞にも及ぶ塹壕戦に臨んだ。

 やがてドイツが最も恐れていたことが起きた。世界一の経済大国、最新兵器を大量に製造するアメリカが、連合軍として参戦したのだ。戦争初期、ウィルソン大統領は中立の立場を表明していたが、ドイツの潜水艦がイギリスの客船ルシタニア号を攻撃し、多くのアメリカ人乗客が犠牲となったことから、ドイツの無制限潜水艦作戦(無警告でイギリスの商船を攻撃する作戦)を非難、民主主義のために参戦する、という大義名分を持ちだした。しかし、実際はウォール街の圧力に屈したからだ。当時、イギリスは軍需物資の8割をアメリカに頼り、莫大な資金援助を受けていた。イギリス、フランスが敗戦すれば軍需産業の市場を失ううえに、貸付返済も滞り、アメリカ経済は破綻する危険性があったのだ。

 こうして1918年5月、アメリカは西部戦線に100万人の兵士を投入し、連合軍の快進撃が始まった。兵士以外にも戦車600台、爆撃機800機、それ以外にも様々な新技術が投入された。例えばそれまで泥まみれになってシャベルで塹壕を掘っていたのが、あっという間に穴を掘るベルトコンベヤー式掘削機、それまで伝書鳩を飛ばしていたのが無線電話に取って代わった。アメリカ軍の参戦により、ドイツ軍は壊滅的な被害を受け、ますます窮地に追い詰められていった。

 厭戦的になっていたのは国民だけではなく、兵士も同じで、10月になると出撃命令に従わないドイツ海軍兵が現れ始めた。当然、軍法違反者は軍法会議にかけられて死刑となるのだが、もう恐れる者はいない。命令に従っても、どうせイギリス艦隊に攻撃されて海の藻屑となるのだ。11月3日、キール軍港の水兵反乱が勃発した。兵士たちがキールで自ら評議会を設立すると、たった一週間の間にドイツ全国の主要都市で兵士評議会、労働者評議会が形成され、ベルリンでは大衆が帝国議会前でデモ行進を行った。これが兵士・労働者蜂起による、いわゆる「ドイツ革命」である。皇帝ヴィルヘルム二世はオランダに亡命してドイツ帝政は崩壊、こうしてドイツ共和国が誕生した。

 1918年11月11日、教会の鐘が一斉に鳴り出し、終戦、つまりドイツの敗戦を告げた。大戦の死者は世界中の兵士、民間人を合わせて1700万人、負傷者は2000万人だ。学校の教室から皇帝の肖像画は取り外され、童謡の「皇帝は善き人」は全く歌われなくなり、皇帝はただの「腰抜け野郎」になり下がった。やがて四年前には花やキスで盛大に送り出された兵士たちが次々と故郷に戻ってきたが、包帯で顔をグルグル巻きにしている者、片足や片腕を失った者、中には両足を失って抱きかかえられている者もいた。それでも再会の喜びは大きく、町中いたるところで歓声が沸き起こっていた。戦死した200万人の「祖国の英雄たち」の遺族は、その歓声をどんな思いで聴いていたのだろう?

 嬉しいこともあった。いつもはムッツリと不機嫌な顔をしているエンゲル先生が、クリスマス休暇に入る直前の朝、なんと微笑んで教室に入って来たのだ。私たち生徒は訝しそうに顔を見合わせた。何か恐ろしいことが起こる前触れだろうか?ピンク色に頬を染めた先生は、優しい口調で話し始めた。

「皆さん、私は今年いっぱいで学校を辞めることになりました。婚約者が戦地から無事に戻り、来年早々、結婚することになったからです。クリスマス休暇明けからは復員されたリヒター先生がこのクラスの担任になります」

神様は私の祈りを聞いてくださったに違いない!生徒全員が満面に喜色を湛え、お互いの顔を見て吹き出さないよう、慌ててうつむいた。リヒター先生を知らないが、エンゲル先生より恐ろしいなんてあり得ない。こうしてエンゲル先生はさっさと退職していった。

 新しい担任のリヒター先生はエンゲル先生とは対極にいるような明るい楽しい先生で、ちょっとブルーノおじさんに似ている。ひょろりと痩せて背が高く、眼鏡の奥の目が優しい。体罰を嫌い、柳の鞭もロバの帽子も教室から消えたどころか、先生は授業中に冗談を飛ばして私たちを笑わせるのだ。女子クラスでも英語の授業が始まり、学校がにわかに楽しい場所に変わっていった。

 常に楽しいリヒター先生だが、西部戦線での体験を聞かせるときだけは、先生の顔は険しくなった。北フランスの激戦地ソンムでの塹壕戦の話に、私たちは言葉を失った。

「毎日毎日、泥と汗にまみれて塹壕を掘ったんだ。出来上がった塹壕の中はひどいもんだよ。雨が降れば足元は沼になり、汚物も浮いて不潔極まりないんだ。戦友の死体もすぐには埋葬できないから塹壕の中に重なっていて、腐敗臭がし始める。そのまま悪臭の中で眠り、食事を取る。体を洗えないから当然シラミも湧くし、病気にもなる。チフス、結核が流行して、下痢なんて日常さ。そこら中、ネズミが走り回ってるんだ。不潔なのはまだ我慢できるが、冬は足が真っ黒に変色して凍傷になるのさ。だけど塹壕から出られないんだよ。頭を出せば機関銃に狙われるんだからね。機関銃は1分間に600発も連射できるから、狙われたら最後さ。こっちも敵軍が鉄条網を潜り抜けようと四苦八苦しているところを機関銃で撃ちまくるんだ。最初のころは僕たちはなんて恐ろしいことをしているんだと苦しんで、眠れない夜が続いた。でも次第に慣れてきて、何も感じなくなるんだ。わかるかい?人を殺すが平気になるんだよ。やられる前にやるんだ。それに敵軍は向こう側からモグラのように地面の中にトンネルを掘ってこちらまで突き進み、ダイナマイトを埋め込むんだ。何百発もの爆弾が一度に爆発して、戦友たちの手足がぶっ飛ぶんだ。そこらじゅうに血の池ができて、肉片が散らばってる。あれは地獄だ」

私たちは恐ろしさに鳥肌を立てながら聞き入った。

「毒ガスの恐ろしさと言ったら・・・。塩素ガスは空気よりずっと重いから、下に溜まる。その性質を利用して、敵陣の方向に風が吹き始めたら攻撃開始だ。サイレンが鳴り、僕たちはガスマスクを急いで装着し、ボンベを開けて毒ガスを噴射するんだ。黄色い毒ガスは地面を這うようにして向こうに進み、フランス軍やイギリス軍が身を潜ませている塹壕にゆっくりと落ちていく。それを吸うと息が出来なくなって、もがき苦しみながら血を吐いてみんな死ぬのさ。生き残ることが出来ても失明するからもう戦えない。やがて敵軍はガスマスクを開発したんだが、そうするとドイツの偉い化学者はそれに対抗してどんどん新しいタイプの毒ガスを改良する。ガスマスクのフィルターを通せる細かい粒子のタイプ、吸わなくても肌をただれさせるタイプとかね。それに噴射式だと風向きによってこちらに流れてくる危険性があるから、今度は化学剤入り迫撃砲を敵陣に打ち込むんだ。より多くの兵士を、より確実に殺す。あれは悪魔が考え出した悪魔の兵器さ」

ほとんどの復員兵は戦場での体験を話したがらなかったけれど、リヒター先生は教師としての義務だと言って、私たちにしょっちゅう恐ろしい話をした。

「月の美しい夜だった。僕は戦友のペーターと塹壕で見張り番をしていたんだ。敵軍が攻撃を開始しないか注意しながらも、帰郷したらあんなことをしよう、こんなことをしよう、なんて他愛ないことを話してた。次第に東の空が明るくなってきた時だ。聴いたこともないギシギシという音がこちらに近付いてくるのに気が付いた。ペーターと僕は顔を見合わせて、何の音だろうと不思議がった。眠っている仲間たちを叩き起こして、戦闘準備態勢に入ったんだが、音はすれども姿は見えない。やがて轟音と共に朝焼けに照らされた巨大な鉄の塊が姿を見せ、僕たちは度肝を抜いたんだ。何だこれは!それはイギリス軍の開発した長さ10m、幅4mもの巨大なタンク、戦車だったんだ。自動車も見たことがない村出身の戦友もいたんだから、みんな茫然とした。号令と共に一斉に機関銃を打ちまくったんだが、モンスターはビクともしない。火を噴きながら、鉄条網を踏みつぶしてこちらにゆっくりと進んでくる。こんなものが来たものには、塹壕なんて何の意味も持たないさ。怪物は恐ろしい地響きを立てながらゆっくりやって来ると、やがて僕の前でピタリと止まり、巨体をゆっくりと上げるとドスンと大きな音を立てて塹壕をまたいだんだ。僕は身をかがめ、耳を塞いで上を通っていくヤツを見上げた。鉄の塊は車輪を持たず、ベルトのような物で走行しているんだが、その音がギシギシと凄まじい轟音を立てるんだ。そのまま通り過ぎて行くかと思うと、いきなり僕の真上で止まるじゃないか!ヤツは塹壕をまたいだまま、タンクの側面から塹壕の中で震えている仲間たちに向かって機銃掃射を始めたんだ。僕は運良くヤツの真下にいたおかげで、命拾いをしたというわけさ。だけどペーターは・・・」

リヒター先生は声を詰まらせ、しばらくの間、目を窓の外にやると、声を落とした。

「頭を撃ち抜かれて血まみれになって死んだんだ。バイエルン訛りの気のいい男で、故郷では妻と幼い息子が待っているといって、写真をいつも持ち歩いていた」

先生は私たちの方に向き直ると、眼鏡の奥の目が涙でいっぱいなのがわかった。

「戦争は野蛮で本当にバカげたことだ。君たちにそれを覚えておいてほしいんだ。二度とやっちゃいけない。平和だ。平和が一番だ」

私は男の人が泣くところを初めて見て驚いたけれど、それと同時にブルーノおじさんを思い出して胸が痛んだ。おじさんはどんなふうに死んだのだろう?撃たれたとき、痛かっただろうか?

 リヒター先生から聞いた話を夕食の席で家族にすると、普段は私の話など大して真面目に聞かない父と兄のワルターが、興味津々といった感じで真剣に聞き入っていた。塹壕戦の話は、まだそれほど世間に浸透していなかったからだ。その一方で姉のロッテと母は顔をしかめ、特に母は、

「子供たちにそんな残酷な話をするなんて!」

と、あからさまに嫌な顔をした。しかし、父は、

「いや。立派な先生だ」

と静かに言った。そのとき、父の目が潤んで光っていることに気が付いた。父の工場の従業員も何人か戦死しており、腕を失って働けない者もいた。

 リヒター先生の心の傷が決して癒えていないことは、8歳の私にだって想像できた。授業中、先生が突然顔をヒクヒク動かし始めると、慌てて教室から出ていくことが何度かあった。そしてしばらくすると戻ってきて、何事もなかったかのように授業を再開するのだが、汗びっしょりで、髪が額に貼り付いている。塹壕戦でのトラウマから神経症を患っており、モルヒネ中毒になっているという噂があったけれど、真偽のほどはわからない。 

 

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西部戦線における塹壕戦。この大戦では初めて化学兵器、戦車、戦闘機、機関銃、潜水艦などの新兵器が投入された。大戦中に使用された毒ガスは、ドイツ・イギリス・フランス合わせて38種類、12万トン、死者12万人、負傷者120万人に及んだ。初めて使用されたのは1915年4月、ドイツ軍による塩素ガスで、生き残ったイギリス軍兵士にたまたま化学者がおり、すぐに塩素ガスであると察知、イギリス政府に報告すると、イギリス側も直ちに毒ガス開発に乗り出した。

 

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ドイツ軍の放った毒ガスによって失明したイギリス兵。 一人で歩けないため、こうして列を作って移動した。

 

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フリッツ・ハーバー( 1868 - 1934年)はユダヤ系ドイツ人の物理化学者。空気中の窒素からアンモニアの生成に成功、それから窒素肥料が開発された。こうして作物栽培に貢献し、世界中の飢餓に苦しむ人々を救った一方で、史上初の化学兵器である毒ガスを生み出した。毒ガスは1899年のハーグ万国平和会議で禁止されていたにも拘らず、「戦争の早期終結のため」に使用された。実際には両軍の化学者たちが「より効果的な毒ガス」開発にしのぎを削ったため、戦争は長期化した。ハーバーの妻クララは女性としてドイツで初めて博士号を持つ優秀な化学者であったが、人道的立場から毒ガス開発に反対して自殺した。ハーバーは1918年にノーベル化学賞を受賞、彼のモットーは「平時は人類のために、戦時は祖国のために」。1933年、ナチスの政権掌握後、ユダヤ人であるため、スイスに亡命した。

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1916年、イギリス軍が開発した世界初の戦車、マークⅠ号。菱型戦車とも呼ばれる。塹壕突破を目的としたため巨大に作られたが、凹凸にはまりやすく、故障も多かったうえに車内環境は劣悪だった。それらの欠点を補った改良型マークⅡ号、Ⅲ号、Ⅳ号が引き続き製造された。ドイツも極秘に戦車を開発し、イギリスから一年半遅れた1918年、戦車A7V型を投入、史上初の戦車対戦車の戦いとなった。

 

 日常は少しずつ平穏を取り戻していき、私たちは学校が終われば友達との川遊び、缶蹴り遊び、縄跳びに忙しい。大人の世界は大幅な政治改革が始まっており、ワイマール共和国は世界で最も民主的なワイマール憲法を制定した。(新政府と新憲法にワイマール市の名が冠されたのは、終戦前後のドイツ帝国の首都ベルリンが革命の混乱期にあったため、一時的に政府がワイマールに移されたからだ。戦後、政府はすぐにベルリンに戻っている)。主権在民であり、国民が国会議員と大統領を決定する投票権を有し、18世紀から女権拡張論者が求め続けた女性参政権も認められた。労働者、青少年、家庭の保護などを目的とした法律も作られ、「国内国外の平和に奉仕すべし」と戦争反対を謳う条文も加えられた。当時としては画期的な民主的憲法と謳われてはいたが、それでも大統領が単独で首相を任命し、議会を解散できるなどの専制君主的な特権を持っていたのは、まだ帝政時代の名残りがあったからだ。

 学校教育においても大改革があった。かつては貴族を含めた富裕層の子供たちが一般の国民学校に行くことはなく、高い授業料を支払うギムナジウム(大学進学を前提とした中等教育機関)準備学校が存在した。つまり必然的に富裕層の子弟だけがギムナジウムに進学し、アビトゥーア試験を経て大学に進学できたのだ。この不公平をなくすため、新政府はこの有料の準備学校制度を廃止し、すべての子供たちは無料で同じ小学校に通うことを義務付けた。つまり、富裕層の子弟も「ストリートチルドレン」の群れの中に放り込まれるということだ。

 私のクラスに男爵家の娘アントニアがやってきたとき、あっ!と声をあげそうになった。ニコライ教会の横でよくすれ違う、白いひらひらワンピースの女の子だ!美しい貴婦人の母親と一緒にいる時には、何て美しい女の子だろうと見惚れたものだったが、目の前の女の子は弱々しくうなだれて、まるで栄養不良の子羊だ。しかし、最初はおしとやかに受け答えしていたアントニアが、私たちの缶蹴りや鬼ごっこに参加しているうちに、次第に緊張から解き放たれていった。やがて俗っぽい冗談に大笑いするまでに成長し、感嘆詞が「おお、神様!」から「なんてこったい!」に変わるまでに二週間とかからなかった。こうしてアントニア・フォン・ローゼンクランツは、庶民の子供の世界に見事に溶け込んでいった。

 日常生活は楽しかったが、ミンナおばさんがポンメルンの実家に帰る日は、とても悲しかった。おばさんの実家は紳士服の店を経営しているので、裁縫の上手なおばさんは、そこで仕立ての仕事をするのだと言う。お別れの朝、駅のプラットホームで泣いている私を、おばさんは固く抱き締めてくれた。おばさんの胸の中は、大戦前みたいなフカフカの羽根布団ではなくなっていた。憂鬱な学校生活から救ってくれたのは、ミンナおばさんだけだったのだ。おばさんは、

「かわいいヒルデ!愛してるわ!」

と言って、額にキスしてくれた。あれから駅に来るたびに胸の奥がキュンと締め付けられるのは、悲しいお別れが蘇るからだ。ブルーノおじさんもミンナおばさんも、みんなこの駅から去って行った。

 それから何日も経たないある日曜日の午後、通りを歩く新婚のエンゲル先生夫妻に遭遇した。ワイマール政府は教師を含む女性公務員に対する結婚禁止法を改正し、既婚者も教職に就くことを許したが、エンゲル先生は学校に戻ってこなかった。久しぶりに見る先生は私の知る先生とは全く別人の、優しそうな笑顔の美しい女性だった。夫に甘えるように寄り添い、サファイアの瞳をキラキラさせながら、楽しそうにショーウインドーを眺めている。そのとき、先生に小さなえくぼがあることを初めて知った。先生は私の姿を認めると、取ってつけたような大袈裟な笑顔で私に声をかけてきた。

「あら、ヒルデ!元気そうね!会えて嬉しいわ!」

私はギョッとして固まったまま、「エンゲル先生、こんにちは」と機械的に言うと、わき目もふらずにその場を走り去った。新婚のご主人に聞いてみたかった。ご存知ですか?あなたの美しい新妻が柳の鞭を振り回し、子供たちを薪の上に正座させていたことを?ロバの帽子を作って子供たちに被せ、「イーアー、イーアー」と、いななかせていたことを?私をかわいがってくれたブルーノおじさんは戦死し、心優しいミンナおばさんは悲しみに沈んでいるのに、意地悪なエンゲル先生はあんなに幸せそうだ。聖書には、思いやりのある人は災いから逃れさせてくれるとあるじゃないか!それなのに、なぜ?走りながら鼻の奥がツンとして、喉に何か大きな塊が詰まっているような気がした。

 春になって復活祭の時期に移動遊園地が再開したと聞いたとき、私は小躍りして喜んだ。アントニアと早速「ルーカス叩き」の列に並び、自分の番が来るのを今か今かと興奮して待っていた。痩せっぽちのアントニアはヨロヨロとハンマーを振り下ろし、最低ラインにも達せずに悔しがっている。次に待っている私にハンマーを渡した瞬間、忘れかけていたブルーノおじさんの懐かしい声が私の脳裏に蘇った。

「柄を長く持って、高い位置から一気に垂直に振り落とすんだ、ネズミちゃん!」

私はハンマ一を高く振り上げると、杭に視線を集中し、思い切り垂直に振り降ろした。スコーンと心地よい響きと共に、重りは勢いよく跳ね上がってタワーの頂点に達し、鐘がガランガランとけたたましく鳴った。後ろに並んでいる客たちも、取り囲んで見守る人々も大きな歓声を上げ、でっぷりと太った係のおじさんは驚いてのけぞっている。

「なんてこった!こんなおチビさんが鐘を鳴らすのを初めて見たよ!」

私は真っ赤になっておじさんにハンマーを返すと、アントニアと全速力でその場を走り去った。

「ヒルデ、すごいわ!どうやったの?教えてよ!」

アントニアが興奮して私に尋ねるけれど、私はそれを教えるわけにはいかない。ブルーノおじさんと二人だけの秘密だから。

「ただのまぐれよ!」

私たちはお菓子の屋台に飛んでいき、リンゴ飴を買って見晴らしの良い高台に上った。口の周りを真っ赤にしながらリンゴ飴をかじり、どこからか漂ってくるライラックの甘い香りを思い切り吸い込んで雲一つない青空を見上げた。